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●長宗我部元親百箇条 ちょうそかべもとちかひゃっかじょう

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 安土桃山時代の土佐長宗我部氏の代表法令。長宗我部施政の末期には,近習の家来や中間・小者の勤務心得,諸奉行の心得などの制令が出されたが,1597年(慶長2)3月1日付けで「掟二十二ケ条」が発布されている。これは長宗我部氏の家臣を対象として制定されたもので,侍の心得,生活や戦陣に関する規定からなっており,侍一般に通ずる限定された範囲に施行された法といえよう。以上の法令に対し,武士・庶民も含め,長宗我部氏の代表法令として集大成した形で発布されたものが「長宗我部元親百箇条」である。これは一般に「長宗我部掟書」といわれているが,伝写本には「長宗我部百箇条掟」「長宗我部元親百ケ条」「長曽我部百ケ条」「長曽我部元親百箇条掟」「元親盛親連判掟」「百条目掟」など,いろいろ標題がつけられている。もともと「掟」とのみ記されていたものが,便宜的に呼称をつけて以上のように呼ぶようになったものであろうが,一般には「長宗我部元親百箇条」といわれている。制定年次も明治大学本,『土佐国蠹簡集』本は1596年(慶長1)11月15日,他は1597年(慶長2)3月24日となっているが,元親・盛親が中心となり,弟の長宗我部親泰,3男津野親忠をはじめ,久武・桑名・中内の3家老,江村・国吉・馬場らの一門をはじめ,外交交渉にもあたり惟帳に参じた谷忠兵衛・僧非有らの重臣も参加して検討し,合議の結果,成案を得たのであろう。そして1596年(慶長1)11月までに完成され,翌年3月24日に浦戸城内において制定発布されたのであった。おそらく朝鮮出兵を考慮してのことであろう。内容は大別すると,武士浪人・一般庶民・神官僧侶などの階級制度や親子夫婦,主従に関する身分法,土地・相続・貸借・質入・小作・財政・度量衡に関する財産法,中央政府・役人(直臣・陪臣・分限令)・訴訟・刑事および諸取締(風儀・紋章・復讐など)・交通・軍事・文教などについての職掌および命令禁止法の三分野に分かたれるが,きわめて多方面にわたっている。最初に神仏の尊崇を令し,公儀への勤仕を規定したことは元親の基本的態度を示したもので,同時に儒教道徳を領国経営の指導理念としていたようである。第6条で〈君臣,僧侶,貴賤,上下,仁義礼聊不可有猥,専可存之事〉と令したのは,ほかに強制するだけではなかったであろう。それゆえに大高坂芝山の『南学伝』に,〈秦君遂尚儒教,郭内置学舎,以如渕子忍性叟為師,月中六日士大夫雲聚,読書講武,学術漸風動〉と記されたのであろう。また34条には〈男留守之時,其家江座頭・商人・舞々・猿楽・猿遣・諸勧進此類或雖為親類,男一切立入立入停止也〉とあり,以下35条は男が留守の時の物詣見物の禁止,36条は同様に出家の出入りの禁止で,風紀の取り締りを目的としたものだが,当時の生活の一面を物語っている。さらに火事がおこった場合,類焼した者には火元が〈其身に応じて過銭あるべし〉とし,放火で犯人が明らかになれば,〈親類迄も,堅可成敗事〉とある(98条)。勝手な伐採を禁じた公儀御用木には竹・杉・桧などがあるが(76条),筍も折ることを禁じられ,違反者には罰金が科せられる(77条)のは,竹が合戦の際に必要だったためである。馬の国外移出も禁止されている(66条)。上記のように法令は各般にわたっており,公儀・公益を優先することを規定した領国法と家法との性格をあわせもった法令である。〔参考文献〕井上和夫『長宗我部掟書の研究』1955,高知市民図書館

佐藤進一・池内義資・百瀬今朝雄編『中世法制史料集第3巻武家家法1』1965,岩波書店