50音順    検 索

●朝鮮民主主義人民共和国 ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく

AD 

【国号の由来】「朝鮮」は中国の古典にみられる名称で,朝鮮西北部から満州を指し,東方日の出の地という意味である。この地の漢民族政権の箕子や衛満王朝にこの名が用いられ,伝説的な朝鮮民族の檀君の王朝もこれを用いた。李成桂が半島を統一すると同王朝の名称で以後半島全体の呼称となり,人民共和国もこの名を継承した。

【自然】朝鮮半島はアジア大陸の東端に突き出た半島で,面積約22万平方km(日本の約3分の2)。地形は北に高く南に低く,また太白山脈が日本海側に寄って走っているため東に高く,西に低い,山脈から西南や南の方向に大小の川が流れくだり,南,西部に河成平野となっている。西南海岸はリアス式海岸をなし無数の島がある。気候は日本と比べてやや冷涼で大陸性気候。日本の東北や北海道に似ている。人民共和国の面積は12万538平方km,半島全体の約55%だが,南部分も自国領と主張し国境線を承認していない。

【民族の形成】朝鮮人はモンゴロイドに属し,言語はトルコ,モンゴル,満州語などのアルタイ語族とする説が有力になっている。古代の朝鮮半島には多くの種族があり,中国の記録では,前3世紀ごろ,満州から朝鮮にかけて夫余・沃沮(よくそ)・ワイ※注1※・貊(ばく)などのツングース諸族がいた。また半島中南部の韓族は多くの部落国家に分かれ,馬韓弁韓辰韓の3地域から成っていた。やがて夫余から出た高句麗が他のツングース諸族を従え,漢民族を駆逐し半島北部を統一した。また夫余・高句麗の一部が南下し,馬韓を統一し百済を建てた。辰韓斯廬(しろ)により統一され新羅となる。やがてこの新羅が百済を倒し高句麗を滅ぼして,3国を統一し,ここに朝鮮民族の基礎がつくられた。その後高麗時代の契丹,モンゴルの侵入,倭寇などに苦しんだが,李朝時代には鴨緑江と豆満江とを境界線として区切ることによって満州人や女真人と一線を画し,朝鮮民族の一体性を確立した。李朝期におけるハングルという国字の制定も民族の統一に寄与した。

【歴史】676年唐軍を朝鮮から駆逐し,はじめて半島を統一した新羅は,慶州を都として王朝文化の花を開かせた。骨品制といわれる身分制度を軸に貴族政治が行われ,花郎と呼ばれる貴族の青年のエリー卜集団が文武に活躍した。律令など中国の文物も導入されたが,とくに仏教が護国仏教として保護されて栄え,慶州仏国寺などの遺跡を残した。新羅が末期,豪族の割拠で衰えたあと,開城を都とする高麗が起こり936年全朝鮮を統一した。当初は前王朝の継承で,律令制貴族政治が行われ,958年には科拳制が導入され,儒教も広まっていった。この時代の文化遺産として世界最初の活字印刷,高麗大蔵経の刊行,高麗青磁などがあり,世界に誇るべきものが生み出される一方,異民族の侵略に多く脅やかされた時代でもあった。10世紀からの契丹の侵入,12世紀の女真の侵入などがそれであり,1231年からは高麗最大の災難であるモンゴルの強襲があり,40年余り抵抗が継続された。最後に倭寇があり沿岸を荒掠され,李成桂はこの倭寇の討伐で名をあげ,親元派を追い払い,朝鮮王朝を1392年に建て,漢城(ソウル)を都とした。李朝は儒教を仏教にかえて国教とし,とくに朱子学は官人支配のイデオロギーとなった。世宗のときには朝鮮語を自由に表記できる訓民正音といわれる朝鮮文字(ハングル文字)が創案され,金属活字の改良と相まって,多くの書物が刊行された。しかし李朝の官人は従来の王朝寄生的な官人ではなく,農荘を基礎に地方の士族を背景とするものであったため,15世紀末から党争といわれる政争が激化し,そこへ1592年より2回にわたる豊臣秀吉の侵略をうけ,国力は衰えていった。19世紀になると欧米列強が進出し,通商貿易を求めたが,摂政の大院君鎖国政策をとったため,日本に乗ぜられ,江華島事件を機に1876年江華条約を結ばされ,開国を余儀なくされた。日本はその後,日清戦争・日露戦争を経て,清とロシアの勢力を排除して朝鮮への優越権を得,1905年の保護条約1910年の日韓併合によって朝鮮を植民地とするに至った。この間,甲午農民戦争義兵闘争など民衆の果敢な闘争があったが,日本の軍事力により鎮圧され失敗に終わった。1910年から1945年に至る日本の植民地統治朝鮮総督府を通じてなされ総督が全権を握った。はじめは総督は陸海軍大将に限られ,憲兵警察が猛威をふるい独立運動は圧殺された。この強権を背景に大規模な土地調査事業が行われ,農民の土地は没収された。日本の圧制に対し1919年朝鮮民衆は蜂起し,三・一独立運動(万歳事件)を半島全土に展開した。これにこりた日本は総督に文官もあてるようになり,普通警察を採用し,朝鮮文字の新聞の発行を許すなど武断政治から文化政治へ切りかえたが植民地支配は変わらず,大規模な産米増殖計画の強行で農民の窮乏化は進んだ。この間,朝鮮共産党が創立され,学生や労働者などの抵抗が続いた。1931年満州事変を機に日本の中国侵略,太平洋戦争が始まると朝鮮はその兵站基地化し,日本人化政策で,朝鮮の言語・文字・姓名は抹殺され,民衆は強制的に徴兵,徴用された。日本降伏後,朝鮮半島には米ソ両国軍が進駐し,38度線を境に分割された。1946年3月モスクワ外相会議にもとづいて朝鮮の統一を協議する米ソ共同委員会が開かれたが,これに参加させる朝鮮の政党について意見が分かれ会談は決裂,1947年アメリカはこの問題を国連に提案し,1948年ソ連の反対を押し切って朝鮮委員会設置を可決,同年,同委員会により南だけの単独選挙が行われ,12月李承晩を大統領とする大韓民国が発足した。これに対して北側では1947年2月北朝鮮人民委員会が組織されて,土地政革・8時間労働制・男女平等・重要産業国有化など一連の社会主義的民主化が実施され,1948年8月最高人民会議総選挙を経て同年9月金日成を首相とする朝鮮民主主義人民共和国が樹立された。朝鮮戦争で廃墟となったが,休戦後の1954年から朝鮮労働党の指導下に経済復興3カ年計画が実施され,戦前の水準にまで農業・工業の生産水準を回復した。ついで社会主義工業化へ基礎をつくり,衣食住問題の基本的解決を目標とし第1次5カ年計画(1957〜1961)が実施された。しかし,重工業優先か軽工業重点かをめぐって党内対立があり,中国から帰還の延安派などが粛正され,1958年3月の党会議で金日成が党と国家の主導権を握り,重工業優先,軽工業農業併進の路線が確立した。1961年から社会主義工業化をめざして経済建設7カ年計画(3年延長,1970年完成),1971年から新6カ年計画(1975年達成),1978年から第2次新7カ年計画が実施されている。

【思想】1860年代のプエブロ事件など朝鮮をめぐる国際関係の緊張化は朝鮮の自主・自立の必要性を痛感させ,自分のことは自分で解決する主体(チュチュ)思想が主張されるようになった。主体思想は,思想における主体,政治における自主,経済における自立,国防における自衛の4大原則に集約され,朝鮮のナショナルな社会主義への志向を示すものである。金日成首席の独創的な革命思想として盛んに強調され,幼児教育から社会活動に至るあらゆる面でこの思想が要求されている。

【文学】1951年朝鮮労働党の指導のもとに朝鮮文学芸術総同盟が組織され,1953年には文学部門が朝鮮作家同盟として独立し,社会主義リアリズムにもとづく創作活動を推進している。共和国成立当初は,解放の喜びと祖国建設へ息吹きを伝える李箕永の長編『土地』,趙基天の叙事詩『白頭山』などが発表され,朝鮮戦争後は金日成首相に導かれる社会主義建設と人民の姿を描いた李箕永の3部作『豆満江』,黄健の『蓋馬高原』などの長編,1960年代には千里馬運動の発展とともに,その根源を金日成の抗日パルチザン闘争に求め,それに関する作品が輩出し,人民に奉仕する文学が基調となっている。

〔参考文献〕江口浩『ルポ・朝鮮最近史』現代史出版会

朝鮮史研究会編『朝鮮の歴史』三省堂

00

01