●朝群総督府 ちょうせんそうとくふ
アジア 日本 AD1910 明治時代
1910年(明治43)8月22日の「併合」から,1945年(昭和20)8月15日に至る期間,日本帝国主義の朝鮮に対する植民地統治を担当した,抑圧と搾取の最高機関。1904年(明治37)の第1次日韓協約,1905年(明治38)の第2次日韓協約,1907年(明治40)の第3次日韓協約で,朝鮮の完全植民化を推進していた日本は,1910年(明治43)8月22日,ついに武力によって「併合」を実現した。日本帝国主義は朝鮮統治の基本目的を,(1)反日運動の徹底的圧殺,(2)民族経済の発展抑制と植民地収奪のための基盤構築,(3)朝鮮の民族性と文化の抹殺,(4)大陸侵略のための兵站基地構築においた。その目的実現のために同年9月30日付で設置されたのが,朝鮮総督府である。朝鮮総督府の機構は,統監府統治機構を改編したもので,徹底した軍事警察的統治機構であった。このことは,「朝鮮総督府及所属官署官制」と「地方官制」に歴然と示されている。これらによれば朝鮮総督は,親任官として陸・海軍大将のなかからのみ任命され,立法・行政・司法・軍事など無制限の権力を付与されていた。総督に無制限の権力を付与したことは,朝鮮支配のためには手段と方法を選ばぬという統治方針が反映されたものであった。初代総督に陸軍大将寺内正毅が任命されて以来,第3代と5代の海軍大将斎藤実以外は全員陸軍大将であった。そしてその多くが日本政府の首相に昇進した。総督の下に親任官の「政務総監」があり,軍事統帥権を除くすべての行政・司法を統括した。総督府の基本部署は1910年代では,総務部・度支部(財務)・農商工部・内務部・司法部など,あたかも旧朝鮮王朝政府の統治機構を,そのまま継承したかのような印象を与えるものであった。そのほかに総督府の「所属官署」として各道とその下部行政機関である府・郡・面があり,民衆抑圧機関として憲兵警察機関や裁判所,経済機関として鉄道局・臨時土地調査局・専売局・営林廠,教育機関として各直轄普通学校・高等普通学校・官立師範学校などがあった。「所属官署」の一つに「中枢院」が新設されたが,これは旧王朝政府の諮問機関の名称を踏襲しているが,実は植民地支配の本質を隠蔽するためのものにすぎず,10年間一度も開会したことがなかった。中枢院議長は政務総監があたり,副議長には李完用,賛議・副賛議には朴斉純・李址鎔など親日売国分子が名を連ねた。朝鮮の地方行政区画は13道・12府317郡で,郡の下に4,300余の面があったが,新たに面を末端行政機関として格上げ強化し朝鮮民衆弾圧に便利な機構にした。1914年(大正3)には郡・面の統廃合を実施し220郡と1,810面に縮小した。各道の長官(知事)も「道令」発布の権限をもち,従わない者に3カ月以下の懲役・禁錮・拘留・100円以下の罰金を科す権限があった。郡守・島守もこれに準ずる権限があった。総督府所属機関中最も暴威を揮ったのが悪名高い憲兵警察で,憲兵司令官が警務総監を,各道の憲兵隊長が警務部長をそれぞれ兼ね,郡・面にも憲兵分隊・憲兵分遣所をおいた。憲兵警察は反日人士の摘発,義兵討伐をはじめ犯罪の即決,民事訴訟の調停,労働者取締,日本語強制など一般警察の権限までもち,朝鮮民衆を徹底的に弾圧した。1919年(大正8)3月の三・一運動で大打撃をうけた日本帝国主義は,1920年(大正9),「官制改正」を行い,総督府機構を総督官房・内務局・財務局・殖産局・法務局・学務局・警務局に拡大強化する一方,憲兵警察を廃し普通警察に改編した。地方機構も道に警察部を新設したり,道・府・面に各級の諮問機関を設置するなど,若干の改編をした。統治権力が「文化統治」と宣伝したこの改編も,植民地統治の本質にはなんの変化もなく,ただその手法が巧妙になっただけで,暴圧機能はむしろ強化された。〔参考文献〕朴慶植『日本帝国主義の朝鮮支配』上・下,1973,青木書店
姜東鎮『日本の朝鮮支配政策史研究』1979,東京大学出版会