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●長州征伐 ちょうしゅうせいばつ

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 長州征討,征長の役ともいう。幕末における幕府・諸藩連合軍と長州藩の戦争。

【第1次】1864年(元治1)7月23日朝廷は前年7月の禁門の変を理由として長州藩を“朝敵”として追討することを幕府に命じたが,幕府は直ちに諸藩に命じて征長軍を編成し,征長総督に前尾張藩主徳川慶勝(慶恕)を任命,将軍進発を布告した。しかし,慶勝は武力衝突以前に長州藩を悔悟伏罪させる方針をとり,当初長州打倒を主張した参謀西郷吉之助(薩摩藩士)も藩内への政治工作を主張した。他方長州藩も8月に入ると四国連合艦隊下関砲撃に屈するなど孤立感が高まり,尊王攘夷派に代わって保守的な恭順派が台頭,結局益田右衛門介・国司(くにし)信濃・福原越後の3家老を自刃させ,藩主父子の伏罪書を提出,征長軍はこれを諒として12月27日撤兵,一度の武力衝突なしに終結した。

〔参考文献〕田中彰『明治維新政治史研究』1963,青木書店

田中彰『幕末の長州』1965,中公新書