●長子相続 ちょうしそうぞく
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長子による財産・身分・地位などの相続・継承。長子とは通例嫡長男子を指す。ほかに男女を問わず初生子を相続人とする慣行,すなわち文字通りの長子相続があり,これを初生子相続(または姉家督相続)と呼ぶ。【長子の身分】長子相続は普通末子相続に対する用語である。しかし,長子相続も末子相続も相続人があらかじめ長子なり末子なりに指定されている“指定相続”に属する点は同じで,その点指定が見られず,ある時期に選定の行われる“選定相続”に対するものである。ただ指定が長子と末子では,その意義に大きな相違が認められる。長子の場合,長男子にせよ初生子にせよ,それぞれの出生とともにそのままその身分が確定される。これに対し末子については全子の出生を待たなければその地位は確定しないわけで,長子のように出生とともにというわけにはいかない。つまり長子の身分は生得的に,いち早く安定するのに,末子の地位は他子と相対的に,しかもかなり遅れて得られるものなのである。こうして長子には生まれつき他子を圧倒する身分的保証が与えられることになる。家庭内で何事につけ長子だけが優遇されるならわしは全国的である。長子を指すオヤカゴ(宮崎県),ウチトリ(愛媛県・佐賀県),ホンヤドリ(和歌山県),アトセ(岩手県),イハイゴ(長野県),ワカヨ(大分県),ヨトリ(関西地方),イセキ(神奈川県)など,地方呼称はきわめて多く,これらには長子こそ次の家長であるとの強い期待が込められている。
【長子相続の卓越】長子相続は時代や地域,職業や身分などを越えて,末子相続その他の方式を圧してきた。民俗慣行としても長子相続は全国に普遍しており,近来では他の慣行を確認することさえ稀れになってきている。このように長子相続の卓越に決定的な影響を与えたのは,明治民法が“家督相続”に嫡長男子主義を規定したことであった。民法の施行後,初生子相続(姉家督相続)はその男子主義によって排斥され,明治中期以後急速に衰退した。代わって登場したのが中継相続で,これならば長男子主義とも矛盾しない。次いでその長子主義によって末子相続が圧迫された。しかし末子相続は初生子相続に比して分布の範囲が広く,伝統も長く,豊漁村に深く浸透していたので,民法施行後衰退しつつも,なお各地に維持され,西南日本に少なからず伝承されている現状である。ところが末子相続の事実をそのまま戸籍簿に登載することはできにくくなり,合法的な範囲内で何らかの作為を加えるか,それもあきらめてまったくの不実記載を承知の上で,法律の定めるまま長子相続と届け出るか,いずれにせよ実状を隠蔽せざるを得なくなった。ただ隠居分家は,財産の均分相続や家族構成の小家族主義など末子相続と基盤を同じくする慣行でありながら,相続方式は長子相続であることから,その慣行の維持に明治民法の影響を受けず,場合によっては末子相続の衰退にある程度逆影響を受けたとも考えられる。とくに全子の隠居分家達成後,両親がそろって長子家たる本家に復帰する方式のものなどに,長子相続の影響をはっきりとうかがうことができる。
【長子相続の系譜】典型的な長子相続は江戸武家社会に行われた。それは身分・地位などの長子継承にとどまらず,財産についても長子による単独相続が形成された。実は明治民法の“家督相続”も江戸武家社会の理念型を踏襲したものであった。その嫡長男子単独相続は強大な家長権(戸主権)の存在とも結びついていた。しかし庶民社会では,江戸時代を通じてさまざまな相続方式を伝承し,地域的特色も少なくなかったと考えられるが,時代とともに長子相続が漸次普及していったことも事実であった。それが明治民法の“家督相続”を受け入れる素地をなしたわけである。長子相続を遡れば鎌倉末期に成立した“総領相続”に行きつく。この総領相続は,鎌倉武家社会において元来分割相続が行われ,一族の間に散らばる所領を統轄すべき総領は選定相続によって“器量の仁”が選ばれたのを廃し,いち早く一族・一家の総力を結集・統合すべく嫡長男子に相続権を与えたところに成立した方式であった。長子相続にはこうした利点が認められ,それが他を圧倒する因由をなしたことも確かである。