●彫刻(西洋) ちょうこく
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現存する最古の造形芸術作品といわれるスペインのアルタミラ洞窟画のなかには、描かれた野牛の量感を表すために、岩盤の起伏を利用しているものがある。見出された彫刻、あるいは労せずして成された浮き彫りとでもいえる。人の手で実際に浮き彫りされた例では、モンテスパン洞窟の粘土製の深浮き彫り、ル・ロック・ドゥ・セール洞窟に粘土で形づくられた物が古い。これらは狩猟民によって主に動物を対象としてつくられたのに対して、丸彫りの人像は牧畜民の手になる、より新しいものと考えられている。1909年にオーストリアのウィレンドルフで鉄道工事中に偶然発見された石灰岩製の裸像などである。洞窟画のような動かせない環境的作品に対し、持ち運びの可能なこうした小像は動産美術と呼ばれる。いずれも旧石器時代、およそ前3万年から前1万年のあいだの原始時代の作である。
ヨーロッパがまだ石器時代にあった前40世紀ごろ、エジプトとメソポタミアでは金属器が用いられ始めた。そのエジプトでは、前35世紀ごろには統一帝国が創設され、サッカラの階段状ピラミッドが建造された前27世紀ごろには、等身大のジェセル王坐像が、チェフレン王の時代には自己の姿を永遠化するために高さ20m、長さ60mの人面獅子身のスフィンクスもつくられた。また、このころ木造彫刻も盛んで、「書記座像」や「村長像」など多彩色の世俗的な彫像もある。しかし、前20世紀ごろ中王朝時代に入ると、巨大木彫像はなくなり、代わって青銅像が現れる。前15世紀ごろからの新王朝時代には、黄金製の『ツタンカーメン王仮面』、ラムセス2世を岩窟に刻んだアブ・シンベル神殿などがつくられた。これらはすべて、生命の復活を願い神に捧げた肖像であったから、正面観照性で左右対称をなし厳格な姿勢で表されていたが、浮き彫りには正面と側面の併存した特異な様式も現れている。人像ばかりでなく、牡羊・タカ・トキなどの動物も多く、材料も石灰岩や砂岩などから硬質の花崗岩・閃緑岩、木はアカシア・イチジク、ほかに銅・青銅・象牙・陶器など多様で、その技術の高さがわかる。先行して発達したメソポタミアでは、シュメール、セム人によるバビロニア、そしてアッシリア、ペルシアへとその文化が受け継がれるが、石材が少なくエジプトと比べて一貫した統一性に欠ける。それでも、遅くなって、堂々たる「人面半牛身像」や浮き彫りの「瀕死の牝獅子」など、動物を主題した彫刻に傑作が多い。
エーゲ海文明を受け継いだギリシアでは、前8世紀から前3世紀までの間、盛時は前5世紀の後半のわずか50年間に、彫刻は頂点に達した。その彫刻の発明者としてアテナイの工匠ダエダロスの名が伝えられるが、作品は現存しない。アルカイック期と呼ばれる初期には、ブロンズやテラコッタによる小像が数多く、ついで大理石や青銅による等身大のクーロス(青年像)やコレー(娘像)がつくられ一気に発展する。盛時・古典期には、まずフィディアスの名が知られる。単純で明晰な崇高様式を確立したと伝えられるが、数多くのブロンズの彫像はまったく失われて、パルテノン神殿破風を飾る彫刻が彼の指導の下に制作された唯一の原作である。続いて、『円盤投げ』のミュロン、『槍をかつぐ男』のポリュクレイトスらが、静止像のなかに動感を巧みに盛り込んで成功した。また、ピタゴラス派の数論を応用してカノンを定めたスコパス、八等身の美を創造したリュシッポス、『ヘルメス像』の作者プラクシテレスらが知られる。後期のヘレニスティック時代になると、『ミロのビーナス』『サモトラケのニケ』など作者不明の謎に包まれた傑作がつくられる一方、『ラオコーン』『瀕死のガリア人』など感情表現の多い彫刻となり、しだいに活力を失っていく。そのギリシアの彫刻は、ローマに受け継がれ、美の規範として数多く模刻される。前8世紀半ばに建国されおよそ1000年にわたって西洋文明の基幹を築き上げるローマは、前2世紀半ばにギリシアを滅ぼし、その遺産を継承するとともにエトルリアの伝統をも加味し、写実的な肖像彫刻をつくり上げた。『アウグストゥス』『ブルータス』『シーザー』などがそれで、ブロンズ製の『マルクス=アウレリウス騎馬像』は今なおローマ・カピトリーノの丘に堂々たる威風を見せている。
キリスト教が公認された4世紀以降、偶像が禁じられて彫刻は装飾的な動植物のレリーフに限られたが、10世紀ごろからロマネスク様式が起こると建築装飾としての彫刻が見られるようになり、12世紀からのゴシック様式では教会が教義伝導のための石の聖書となって、聖人の像が柱や壁面に夥しく刻まれた。ミラノ大寺院、ノートルダム寺院などの浮き彫りなどで、シャトル寺院の西面には最初の人像が石で彫られた。また、イタリアではピサの礼拝堂に見られるように、ギリシア・ローマに倣って大理石を用いて制作した例もある。
13世紀ごろからイタリアを中心にして起こったルネサンスでは、人間復興の名の通り、人像彫刻が復活する。といっても、この人間は古代のギリシアを範とした理想像であったのだが、とにかく建築の枠から彫刻が解放されて、独立した像として制作されるようになる。ルネサンス彫刻の幕は、15世紀初頭のフィレンツェ洗礼堂門扉のコンクールによって開かれたといってよいだろう。ギベルティとブルネレスキーとによって争われたこの競技で、前者は透視法にのっとった独創的な塑造浮き彫りで勝利を得た。また、量感の構成に独自性を見せたドナテロ、彩色陶彫のルカ=デラ=ロッビア、ブロンズ像のヴェロッキオ、チェリーニらは彫刻表現の可能性を大きく拓いた。しかし何といっても、ルネサンスを代表するのは、“彫刻の神”に擬えられるミケランジェロである。メディチ家収蔵の古典彫刻を研究し、25歳の若さで「ピエタ」(サン・ピエトロ寺院蔵)を彫りあげ、未完の「ロンダニーニのピエタ」を残す89年の永い生涯に、システィナの天井に『天地創造』『最後の審判』などの巨大壁画も描き、超人的な芸術活動をした。彫刻では、4mを超す『ダビデ』像、『モーゼ』など無数といってよく、生々しいまでの彫技でもって、人間の喜びと苦悩を表している。
彼のマニエリスティックな様式は、17世紀のベルニーニに受け継がれて増幅される。ローマ法王の美術振興策の下で、ミケランジェロと同じくサン・ピエトロ大寺院の造営主任に任じられた彼は、その内部空間を新様式のバロック様式で飾り、建築との融合を完成させた。また、『聖テレジアの恍惚』などにおいては、光の効果を巧みに用いて、石で刻んだとはとても思われない甘美で妖しい官能美を表現した。後に彼はルイ14世に招かれてベルサイユ宮殿の造営にも参加し、それはフランスにおけるロココ様式の先がけとなっている。この時代には、王宮や貴族の館の装飾として彫刻がもてはやされ、肖像彫刻やメダルなども盛んにつくられた。東欧や北欧、ロシア、スペインを通じて新興のアメリカなどへ、西欧彫刻がひろがっていったのもこの時代である。
1755年にドイツの美学者ウィンケルマンが著した『古代芸術模倣論』は、次の様式を用意するものとなる。古代ギリシアやローマの遺跡が盛んに発掘され、古典に学べと叫ばれた。この新古典主義は古代ローマ帝国の再建を夢みたナポレオンに支持され、その庇護を得てイタリアのカノーバー、デンマーク生まれのトルバルセンらが活躍した。均整と調和を尊ぶこの傾向は、今なおアカデミズムの規範として強い影響力をもち続けている。冷徹な新古典主義に対して、より情熱的に彫刻の革新を唱えたロマン主義には、リュードやカルボーがあげられる。姿態がより自由に流動的に表現され、白い石膏に生気が蘇る。
19世紀の後半、ロダンは、印象主義的ともいえる即興的な技法で、生の現実を生ま生ましく写し出し、近代彫刻の開祖となった。『青銅時代』『地獄の門』などの代表作によって、彫刻を優美な装飾品から解放し、自立した芸術にまで高めた功績は計り知れない。その弟子ブールデルは空間における量塊の構築に力点をおき、マイヨールは古典への傾倒を、デスピオは静謐さを身上に、それぞれ独自の境地を拓いた。これらフランスの彫刻は、西洋に学ぼうとした近代日本の美術界に強い影響を及ぼしている。そのほか、ドイツではヒルデブラントが自著『造形芸術における形式の問題』にもとづき、ベルギーではムニエが労働者を主題に、イタリアではロッソが幻想的な表現で、新しい彫刻を模索しつつあった。
これまでの彫刻が、装飾であれ偶像であれ、人間が目にした対象を主題にした具象であったのに対し、20世紀の彫刻ではその対象がしだいに解体し、やがて抽象彫刻を生み出す点に特色がある。また、従来の素材に加えて、合成樹脂や金属板等の使用が広まり、技術的にも彫り刻むものばかりでなくなり多様化する。ロダンの弟子ブランクーシの場合、主題はあくまでも具象でありながら、形態の単純化を追求していくうちに抽象と見紛うものとなってしまった。『新生』『鳥』などの連作は、ルーマニア生まれのこの彫刻家の、神秘な自然への思慕が窺われる。未来派のボッチョーニの場合は、彫刻に動きを取り入れようと腐心しているうちに、従来の具象とは似ても似つかないものになってしまった。“空間における連続性の形態”は、その典型である。これらがまだ対象の原型を残しているのに対し、ロシアの構成主義者たちは、彫刻を対象物から解放し、実際の動きを導入した。ガボは透明な合成樹脂や線材を用いて空間的な構成を開拓し、さらにモーターで振動する「キネティックなコンストラクション」をつくっている。さらには、フランスのデュシャンは既製品のオブジェを、アメリカのカルダーは風で動くモビールを、そしてスペインのゴンザレスは鉄の溶接による集合彫刻を生み出し、彫刻は従来の概念を大きくのり越え、さまざまな展開をみせるようになる。他方、アルプ・ムアー・ジャコメッティら半具象による量塊の追求、イタリアのマリーニ・マンズー・ファッチーニら西洋彫刻の伝統にのっとり、新しい感覚で具象を復活させようとする動きも認められる。
〔参考文献〕リュック=ブノワ、西村滋人訳『彫刻の歴史』白水社
ハーバート=リード、二見史郎訳『近代彫刻史』1965、紀伊国屋書店
中原佑介『現代彫刻』1982、美術出版社
