●張角 ちょうかく
アジア 中華人民共和国 AD
?〜184中国,後漢末の太平道の創始者。「鉅鹿(きょろく)」(河北省平郷県)の人。『後漢書』皇甫嵩伝によると,彼の宗教は,〈自ら大賢良師と称し,黄老の道を奉事す。弟子を養畜し,跪拜して過ちを首せしむ。符水・呪説して以て病を療す〉というものであった。よく治病したので河南・山東一帯に数十万の信者を得た。『資治通鑑』183年(光和6)の条,『後漢記』185年(中平2)の条などには,赤子を背負った婦人や財産を捨てた者が,彼の所に赴こうとして道が塞がるほどだったという。これは彼が,後漢王朝の政治腐敗,豪族の割拠と貧富の拡大,地方の小共同体の崩壊などを背景に,救済の拠り所を求めた民衆に強い影響力を発揮し得たことを示す。郡県の役人のなかには彼の運動の意味がわからず,かえってその教化を評価する者さえ出たといわれるが,次第に政治色を濃くし,弟の張宝・張梁と指揮をとり,184年に漢室に代わり黄家を立てんと蜂起した。宮廷は狼狽したが,曹操らの征討で反乱は失敗。彼も同年中に病死し,その屍は斬刑に処された。