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●長安 ちょうあん

アジア 中華人民共和国 AD 

中国の古都。陝西省を流れる黄河の支流渭水の南岸にある。前漢のときに都をおいて以来、前趙・前秦・後秦・西魏・北同・隋・唐の都となった。ただし、前漢の長安は唐の長安より北にあって渭水に近く、近代の長安(西安)は隋・唐代の一部にすぎないなど、時代による変遷がある。長安が栄えたのは、とくに漢・隋・唐代である。漢代には周囲約28km、城内外に九つの市をそなえ、人口は約10万人前後の都市であったと推測される。隋の文帝は漢以来の長安が荒廃していたので、南の竜首原に新都を建て大興城と呼んだ。唐の長安城大興城をもととしたもので、東西約10km、南北約8kmの方形の巨大な都市であった。中国古代以来の都市プランの完成像でもあり、全体が方形で中央北寄りに宮城・皇城を置き、内部は条里整然とした設計になっていた。最盛期は玄宗皇帝のころで人口は100万人を超え、世界帝国唐の国都にふさわしく東西の民族がすみ、ケンキョウ※注1※(ゾロアスター教)、摩尼教、景教ネストリウス派キリスト教)などの寺院もあった。長安は西方でも知られクムダンと呼ばれたが、これは京城のなまったものと考えられている。唐の衰退とともに長安も衰退し、宋が国都を河南省の開封においたこともあって、やがて一地方都市へ転落していく。しかし長安に見られる設計、管理システム、経済的構造は考究すべき点が多く、中国の都市の影響をうけた東アジアの諸都市を考える上からも、注目すべき点が多い。なお、1936年(民国25)12月12日に張学長らが蒋介石を監禁して国共合作への道をひらいた西安事件の場としても有名である。

〔参考文献〕足立喜六『長安史蹟の研究』1933

石田幹之助『長安の春』1941

向達『唐代長安与西域文明』1957

平岡武夫編『唐代の長安と洛陽』1956

佐藤武敏『長安』1971

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