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●チューダー朝 チューダーちょう

ヨーロッパ 英国 AD1485 チューダー朝

 1485年から1603年までのあいだイギリスを統治した王朝。ヘンリ7世を創始者となし,ヘンリ8世・エドワード6世・メアリ1世を経て,エリザベス1世に至る。ばら戦争に終止符をうち全王国の統一と安定に成功,イギリスが近代化する端緒を開いた。

【経過】まずヘンリ7世は,内乱のあとを受けて有力貴族の制圧に努力,節倹を旨として王室財政の確立をはかった。次のヘンリ8世は,父王と違って派手好みの性格であり,初めは自身の名誉と王国の栄光を願ってフランスを相手に大陸に兵を進めるという愚挙をおかした。1520年代の後半離婚問題が契機となってイギリス国教会の樹立を達成,それはチューダー朝時代における最も重要で画期的なできごととみてよい。これに関係して大小にわたる全修道院の解散を断行し,以前から進行しつつあった土地所有関係の変動をいっそう促進する契機をつくった。だが王の革新政策に対する不満も累積されつつあり,それが北部イングランドで“恩寵の巡礼”となった。エドワード6世は11歳で即位したため摂政が置かれ,国教会はプロテスタント側の教義に接近する傾向を示したが,次のメアリ1世のときにはカトリックに復帰している。なお夫君のフェリペ2世に迫られてフランスと開戦,カレー喪失という不幸な結果を招いた。

 メアリの治世は5年余で終わってエリザベス1世が即位,その治世は半世紀近くの長きに及んだが,よく難局に対処して王国発展の基礎をつくったといえる。第1に国教会を再建,ローマ教会からの離別を決定的なものとするが,“中道”に則して教義面ではカルヴァン派から多くを取り入れながらも,制度面や礼拝の仕方などカトリック的なものを多く残した。第2にスコットランドをフランスから引き離してここに親英的な政府を樹立,亡命してきた女王メアリ=ステュアートを幽閉してその動きを封じ,もってブリテン島統一の素地をつくった。第3は全欧制覇をめざすフェリペ2世との戦いである。元来平和の維持を至上とする女王であったが,開戦不可避の形勢に至ると全国民の力を結集してこれに対抗,“アルマダ”を破ってイギリスの国際的地位を高めた。しかし“よき女王ベス”はさまざまの理由から生涯独身を守り,そのため彼女が死ぬとスコットランド王ジェームズ6世が王位を継承,ここにチューダー朝は終わりを迎えることとなる。

【成果】この王朝統治下のイギリスについて総括すると,次のことがいえる。

 (1)この王朝下に絶対主義の体制ができ上がっていった。また,それにもかかわらず議会制度が成長し確立していく。(2)社会面ではジェントリの台頭が著しい。修道院解散とか囲い込みの流行もこの階層の勢力拡大に役立った。議会のうち庶民院の圧倒的多数を占めるのは彼らであり,また地方政治の主要な担い手である治安判事もこの社会層から選出された。(3)大航海時代の動きに乗り遅れまいとイギリス人もまた海上発展に熱心となった。ドレークはエリザベスの頼みとする船乗りの一人である。(4)前代から引きつづいて毛織物工業の発達が目立ち,今や国民的産業といえるほどの状況にあった。(5)エリザベスの治世に入るとピューリタン(清教徒)の活躍が著しくなり,彼らは国教会内に認められるカトリック的残りかすの一掃を求めて真剣な運動を試みた。議会内部でも改革の主張が聞かれるほどである。(6)この王朝の治めた時代はイギリスのルネサンス期に相当する。2回に及ぶ盛期が見られ,初めがヘンリ8世の治世,ジョン=コレット,トマス=モア,マス=エリオットらにより代表される。2回目がエリザベスの治世,フィリップ=シドニー,エドマンド=スペンサー,シェークスピアらが登場してルネサンス文学のきらびやかな開花をもたらした。なおヘンリ8世もエリザベスも文化への関心が強いルネサンス型君主とされている。

〔参考文献〕大野直弓『イギリス絶対主義の権力構造』1977,東京大学出版会

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