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●中東 ちゅうとう

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 ヨーロッパ人から見た「東方」(オリエント)の地で,極東と近東の中間の地域をさしているが,その範囲は地理的に必ずしも一定しているわけではない。本来はユーラシアの西南部に位置する西アジアの一帯,とりわけイラク・イラン・アフガニスタンなどの諸国をさしていたが,現在ではバルカン半島などの旧オスマン−トルコ領,すなわち近東をも含めて,西はトルコから東はアフガニスタン,南はアラビア半島およびアフリカ北東部をも含めた広い範囲を中近東,もしくは単に中東と呼ぶことが多い。それは第二次世界大戦中に,連合軍の中東防衛司令部がエジプトのカイロに置かれ,西はアフリカのリビアから東はイランに至るまでの地域が軍事的・政治的に一元化され,従来の近東にかわって中東という呼称がもっぱら用いられたからである。したがって,これらの名称は地理的よりは,ヨーロッパとの文化的,または政治的関係による意味合いが濃厚である。中東の地域としての重要性は,この地域がアジア・ヨーロッパ・アフリカの3大陸にまたがっており,いわばその接合点にあたっていることである。この地域は,古代文明の揺籃の地の一つで,古代から中世にかけては当時の世界の最大の統一国家が繁栄しつづけた。この間,古代においてはオリエント文明,中世においてはサラセン文化というように,しばしば高度な文化の創造がなされていたが,それはまたたく間に東西に伝播して,それぞれの土地に文化を触発することになった。また古来,民族移動の通路として,多くの王朝・国家の興亡が繰り返されたが,ペルシア帝国を滅亡させた紀元前333年のアレクサンドロス大王の東征に伴うヘレニズム文化の東漸など,中東はつねに東西文化交流の舞台をなした。中世以後,ヨーロッパ勢力の東漸によって世界の中心から脱落し,一時衰微したが,19世紀後半以来,東西の大動脈スエズ運河の開通,豊富な石油資源の発見などでその重要性をとり戻した。ことに多くの新興国の独立が相次いで見られた第二次世界大戦後は,東西両陣営の対立,帝国主義と民族主義運動の対立,さらにアラブ・ユダヤ両民族の対立など種々の矛盾がからみあって,〈世界の火薬庫〉の名をもつ激動の地となっている。

【地誌からみた中東】中東は地形上,古い地塊のアラビア半島,高峻な褶曲山脈地帯,それに低平なメソポタミア平原の三つの地域に大別される。自然を最も特徴づけるのは乾燥気候であるが,これは地表の景観の上にも反映し,広大な砂漠や荒地が今なお人類の定住を阻んでいる。伝統的に羊・山羊の遊牧と自給的な牧畜が卓越するが,メソポタミアでは灌漑農業,地中海・黒海・カスピ海沿岸の地中海式気候の地域では地中海式農業が見られる。この地域には,古い歴史を誇るアラブ民族トルコ民族イラン民族をはじめ多くの民族が住んでいるが,大きな精神的基盤としてのイスラーム教が支配的地位を占め,いわゆる回教圏の中心となっている。アラーを唯一神とするイスラーム教は,信徒のすべての生活に厳しい拘束力をもち,聖典『コーラン』はそうした生活の細部に至るまで律している。

【中東の石油】埋蔵量では世界の石油の3分の2以上を占める。石油の歴史が1世紀あまりを数えるのに対して,中東の石油資源の開発の歴史はまだその半ばにすぎず,そこから〈中東の石油を制するものは世界の石油を制する〉といわれる。サウジアラビア・クウェート・イラン・イラクの4カ国で石油産出のほとんど全部を占めるが,中立地帯非武装地帯)や海底石油の開発もすすんで生産高は上昇の一途をたどり,今やその輸出量は世界最大となっている。油田の開発の大部分はアメリカ・イギリス・フランス・オランダ・日本などの外国資本によっているが,第二次世界大戦後,民族主義運動の高揚に伴って,政情は複雑をきわめている。

〔参考文献〕J=ブノアメシャン,牟田口義郎訳『オリエントの嵐―中東現代史』筑摩書房