●中ソ論争 ちゅうソろんそう
アジア 中華人民共和国 AD
中国とソ連の両共産党間で行われてきた国際共産主義運動の原則に関する論争。レーニン生誕90周年に当たる1960年,中国が党機関誌「紅旗」編集部の論文「レーニン主義万才」などを通じて,世界情勢観や帝国主義との対決方法でソ連と異なる見解を打ち出し,ソ連がこれに反論,論争を表面化させた。論争はキューバ危機を経た1963年がとりわけ激しく,中国は「ソ連共産党指導部とわれわれの意見の相違の由来と発展」など9編の米ソ批判論文を発表,ソ連は翌1964年の党中央委におけるスースロフ報告で中国を厳しく非難した。論争が国家関係をも悪化させるのは当然で,建国初期の“一枚岩の団結”の神話が崩壊したばかりか,1969年には国境の珍宝島(ダマンスキー島)で両国軍が衝突した。中国は1978年ごろからソ連を主要敵とみなし,1979年には中ソ友好同盟相互援助条約を延長しないと決議した。和解への努力はなされているが,またおもわしい進展をみるに至っていない。