●中世ドイツ文学 ちゅうせいドイツぶんがく
ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD
民族大移動の混乱が治まりゲルマン民族がようやく文化に目を向け始め,〈ドイツ〉という意識が生まれるようになるのは,カール大帝以後である。大帝はキリスト教の普及と文化の育成を積極的に押し進め,760年ごろには最初の羅独辞典『アプロガンス』が編まれ,ラテン語原典の翻訳がなされる一方,ゲルマン固有の英雄歌謡も収集された。820年ごろに筆写され,ドイツ語の最古の文学作品として民族移動期の父子決闘の悲劇を描いた『ヒルデブラントの歌』が断片で残されている。キリスト教の浸透に伴い,その布教のために830年ごろには,北ドイツで『救世主』が書かれ,南ドイツではタツィアーンの『福音書』が独訳され,また870年ごろにはオトフリートが『福音書』を著した。しかし西フランク王国の衰退とともにドイツ語で書かれた優れた作品が現れなくなり,オットー時代には文学はもっぱら修道院でラテン語によって営まれ,宗教的内容のものが中心となった。やがて騎士階級の社会的地位の上昇につれて,聖職者たちは宗教文学と並んで世俗的内容のものも扱い始め,『ヴァルターの歌』や『ルーオトリープ』などが書かれた。そして12世紀になると,『ローター王』『エルンスト公』のようにドイツ語の作品も現れた。十字軍遠征でオリエントの珍しい文物にふれ,高度に発達したアラビア文化に接した騎士たちは,文化の担い手としてしだいに聖職者たちにとって代わり,社会の中心は宮廷に移る。楯とることを本務とし戦いに明け暮れていた騎士は,今や高貴な女性に作法正しく仕える〈婦人奉仕〉を求められる。ドイツの騎士たちは先進フランスの宮廷社会を模範として文学に手を染め始め,シュタウフェン朝の庇護のもとにドイツ独自の騎士文化が育った。抒情詩の分野では,南フランスプロヴァンスのトゥルバドゥールの影響を受けた恋愛詩がつくられた。これは既婚の貴婦人を対象にして愛の理想をうたう独特の表現と様式をもった恋愛歌であり,激しく燃え上がる想いを官能に流されることなく浄化し,崇拝する貴婦人にふさわしい存在へと自らを高める倫理的・教育的効果をもつ。ハインリヒ=フォン=モールンゲン,ラインマル=フォン=ハーゲナウにおいてこの芸術は形式的に最も完成した域に達し,さらに天才ヴァルターにおいて内容の充実を伴う独自の発展を遂げた。叙事文学の領域では,北フランスで成立した古代伝承にもとづく古代物語,およびケルト伝説にもとづくブルターニュ物語がドイツに移入された。前者の分野では『アレクサンダーの歌』や『ローランの歌』などの翻訳・紹介がなされたが,ハインリヒ=フォン=フェルデケの『エネアス物語』は単なる模倣を脱してドイツ宮廷叙情詩を独立させた最初の作品である。後者の分野では,ハルトマンがフランスの円卓騎士物語を翻訳・改作して傑作を生み,同時代の詩人にも模範を示し,ゴットフリートの『トリスタンとイゾルデ』,さらにヴォルフラムの『パルチヴァール』において,ドイツ宮廷叙事詩は最高峰に到達した。しかし他方また,古代ゲルマンの民族精神は,自民族の歴史的伝承と北方伝説を結びつけた『ニーベルンゲンの歌』のような英雄叙事詩のなかに生きつづけた。ところで,宮廷詩人たちは各地の宮廷を巡り歩き,どの宮廷の聴衆にも理解されるようにできる限り共通のことばで詩作することにつとめ,ドイツ文学史上最初の隆盛期を現出させたが,シュタウフェン王朝の弱体化につれて,この文化の波は急速に弱まった。十字軍参加による貴族階級の疲弊と都市の成立に伴う社会構造の変化のなかで,現実は騎士の理想とはかけ離れたものとなり,彼らの知的創造力はしだいに失われた。百姓の息子が追いはぎ騎士となり身を滅ぼす物語,ヴェルンヘル=デァ=ガルテネーレの『ヘルムブレヒト物語』は,13世紀の庶民の生活を描いた作品として注目に値する。13世紀中ごろ以降は,叙事詩のコンラート,教訓文学のフライダンク,抒情詩のヴォルケンシュタインなどの優れた詩人も散見するが,しかしもはや時代を代表するような独創的詩人は現れない。市民階級の台頭とともに,抒情詩はしだいに学識ある市民によって学び教えられる工匠歌へと移っていき,叙事詩は娯楽的要素が強くなり,民衆本が流行する。前者ではハンス=ザックスが活躍し,後者では『ファウスト博士』が生み出されたころには,中世はもう遠い過去となってしまった。