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●中世社会 ちゅうせいしゃかい

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 中世とは歴史の時代区別で,古代と近代との中間に位置する。とくに西ヨーロッパ史および日本史に適応する用語であり,西ヨーロッパ史においてはゲルマン民族大移動,西ローマ帝国没落の4〜5世紀からルネサンス開始,絶対王政萌芽の14〜15世紀までの中世封建社会をさす。日本史においては,鎌倉時代から室町時代までを中世とし,安土桃山時代・江戸時代は封建社会ではあるが近世として扱われるのが一般的である。

【語義と諸説】〈中世〉の語義は,〈古代〉と〈近代〉の時代三区分の思想により,西ローマ帝国とともに衰退した古代ギリシア・ローマの古典文化の時代から,イタリア半島に始まり西ヨーロッパ諸国に広がった古典文化復興つまりルネサンスの時代までの中間の時代をいうものであり,17世紀のドイツの人文学者クリストフ=ケラーが初めて用いたという。このように古典文化時代とルネサンスの中間に位置する中世は,政治的にも文化的にも暗黒の時代とみなされていた。しかし19世紀から20世紀になると,たとえばオランダの歴史学者ヨハン=ホイジンガの『中世の私』のように,積極的に中世社会・中世文化の意義を認めるようになった。また,マルクスやエンゲルスの史的唯物論においては,歴史的発展段階の立場から原始共産社会・古代奴隷社会・中世封建社会・近代資本主義社会ととらえ,中世すなわち封建制度の時代として扱われることが一般化した。封建制度とは,所領の給与または保護の御恩に対し忠誠と奉公を誓う主従関係を中心とした権力体制で,その体制によって所領とその所領内に縛られた農民すなわち農奴を支配するものである。日本史においても,中世封建社会として扱われるが,中世武家社会という記述もある。また学校教科書などで一般に近世として扱われる安土桃山時代・江戸時代を後期封建社会・後期武家社会と呼ぶのに対し,中世を前期封建社会・前期武家社会ということもある。西ヨーロッパの中世と日本の中世には共通点が多く,同様の時代区分の範疇で扱うことができるが,他の地域,中国やイスラーム諸国において中世を適用することは困難であり,諸説紛糾し,いたずらに混乱を招くだけである。たとえば中国の場合,前田直典のように佃戸制を西洋の農奴と同質として宋代から清末までを中世とする説,内藤湖南のように文化史的見地から後漢末までを古代として六朝〜隋唐時代を中世とする説,郭沫若のように秦漢時代から清末までの2千年以上の間を中世とする説などが提唱されている。

【西ヨーロッパの中世社会】4〜5世紀のゲルマン民族大移動,西ローマ帝国の滅亡,さらに9〜11世紀のノルマン人の侵入などを経て,西ヨーロッパには,奴隷制の崩壊と地中海を主とした流通経済の衰退に伴い農業牧畜を中心とした自給自足の自然経済が復活し,特徴的な社会現象が生じた。まず生産関係を見ると,自然経済における唯一の生産手段である土地を所領とする領主とその土地を耕作する農奴の,中世における基本的な支配・被支配階級がある。所領は荘園制による大土地所領で,荘園領主には国王・貴族のほか教会・修道院などがあった。農奴は荘園内で耕地を保有する代わりに,領主の直営地を耕作する賦役やその他の貢租の義務を負った。奴隷とは異なって結婚の自由や財産私有・相続権など身体的・経済的自由はあるが,荘園内に束縛され,移転の自由はなく,土地とともに売買,相続された。権力体制の主従関係を見ると,皇帝や国王が貴族に所領の給与または保護を与える代わりに忠誠を誓わせて軍役を負わせ,その貴族はそれより下級貴族と同様の主従関係を結ぶ。このように,皇帝や国王を頂点としたピラミッド型の階層的主従関係が存在したのである。しかしこの主従関係は荘園内に及ぶものではなく,荘園内の行政権・裁判権・課税権は領主にあり,皇帝や国王や上級貴族も他の荘園には介入できない不入権が認められており,中世は地方分権の時代であった。11〜13世紀になると,生産力が向上し,余剰生産物が荘園外で交換・販売されるようになり,地方にも市場が生まれ,さらに遠隔地商業が発達し,交通の要路や大寺院の所在地などに中世都市が生まれた。都市は,はじめはその地の領主の支配下にあったが,やがて自治権を獲得し,商人ギルドを中心とした市参事会によって市政が行われた。こうした余剰生産物の増加や都市の発展は,自給自足の自然経済を流通経済・商品経済へと導き,荘園を崩解させ,地方分権から絶対王政の中央集権国家が出現することとなった。

【西ヨーロッパの中世文化】中世社会は,政治的には地方分権の不統一な社会であったが,宗教的にはカトリック教会の絶大な権威下に統一していた。教会や修道院は多くの荘園を所有する領主であり,ローマ教皇は神聖ローマ皇帝や諸国王と競うなど,世俗的にも強い権力をもった。教会内部の権力体制は,封建制度と同じく,教皇を頂点として大司教−司教−司祭−補祭といったピラミッド型の祭教制度が行われていた。教会はまたラテン語を公用語とし,聖書もそれぞれの国語ではなく,ラテン語で記されており,一般人は司祭を通してのみ聖書に触れ,教理を知るのであった。古代ギリシア・ローマの古典文化はゲルマン民族の大移動の期間に衰微し,わずかに数会や修道院だけが学問を維持していた。しかし,一神教であるカトリック教会では教理に反するものは破棄された。これは古典文化だけでなく,古代ゲルマンの文化・民俗も同様に排斥されるか,またはキリスト教に同化することによって継承された。民族大移動が落ちつき,9世紀初頭,フランク王国ではカロリング王朝のシャルル大帝が教会の普及や学問の復興に力を尽くした。この時代を〈カロリングルネサンス〉と呼ぶこともある。同様に12世紀には,十字軍の東方遠征によって東ヨーロッパやイスラーム世界の文化を熱心に摂取したので,〈12世紀ルネサンス〉と呼ぶこともある。このようにして13世紀になると,それまでの唯一の学問であった神学も精密に体系づけられ,スコラ哲学を生み,『神学大全』を著したトマス=アクィナス,科学的実験と近代哲学の先駆となったロジャー=ベーコンたちが出,ボロニア大学・ソルボンヌ大学など各地に大学が設立された。文学では,『ニーベルンゲンの歌』や『アーサー王物語』など古代の神話や英雄伝説にもとづいた叙事詩から,騎士の恋愛や武勲を歌う『トリスタンとイソルデ』『ローランの歌』など騎士文学が作られ,吟遊詩人によって語り伝えられた。またロマネスク様式のピサの大聖堂・ゴシック様式のアミアンの大聖堂など中世建築が現在にも残り,カトリック教会の勢力の大きさを今に伝えている。しかし14世紀になると,カトリック教会,特にローマ教皇の権威は衰退し,ルネサンスやそれに続く宗教改革の新時代を迎えるのである。

【日本の中世社会】初めにも述べたように,日本史においては,中世とは封建制度が樹立されていく時代,すなわち前期封建時代で,鎌倉時代・南北朝時代・室町時代のおよそ400年間をさす。封建的な主従関係は既に平安時代の荘園内に出現した武士団に見られる。荘園内には,貴族・大社寺が直営する佃と農民が耕作する名田があり,名田を増やした有力農民は地方の豪族に成長した。豪族は家子・郎党を率いて武士団を形成し,それらをまとめて大武士団を統率する者は棟梁と呼ばれた。なかでも桓武平氏・清和源氏が有力であった。この棟梁で初めて都で政権を握ったのが平清盛である。次いで1192年(建久3)源頼朝が鎌倉に幕府を開いた。これより前,頼朝は各国に守護を,荘園と国衙領に地頭を置いた。地頭には幕府に奉公を誓う武士である御家人が任命された。現地にいる地頭は,旧荘園領主と地頭請下地中分の契約を結び,荘園内の権限をのばし,貴族・大社寺の勢力は衰徴し,武家社会が確立したのである。鎌倉時代はまた生産力が向上し,手工業も発達して,各地に三斎市が開かれるようになり,商工業者は座を結成した。南北朝時代の動乱期を経て室町時代に至ると,商業はますます発展し,六斎市がおこり,宋銭を利用して貨幣経済が萌生した。それとともに,交通の要路や大社寺の所在地などに港町・門前町が出現した。また生産の増加により荘園内の農民も武士化して地侍となる者も増え,荘園の境界とは別に村落を中心に惣と呼ぶ自治組織が生まれた。このように農業中心の自然経済による中世社会にも流通経済・商品経済が見られるようになる。しかし,その基本は支配者である武士も貴族も,被支配者である農民も,すべて荘園を基盤としていた。この基盤を崩壊させたものが室町時代後期の戦国の動乱であり,太閤検地やそれに先行する戦国諸大名の検地であった。

【日本の中世文化】鎌倉時代以前から既に見られた荘園内の生産の増加は中世文化に新しい動きをもたらした。その一つが新仏教の発展である。それまでの仏教は,朝廷や貴族のための宗教であって,ほんのわずかな例を除いて,民衆とは無縁のものであった。これに対し,法然の浄土宗,親鸞の浄土真宗・一遍の時宗・日蓮日蓮宗・栄西の臨済宗・道元の曹洞宗が,武士や農民の間に広まった。また旧仏教にも叡尊や忍性らが出て貧民救済や医療活動を行った。記録された文字を見ると,平安時代以来の都中心・貴族中心の和歌や物語の伝統が主流を占めるが,その美意識には,貴族の没落と仏教の興隆を反映して,無常観やわび・さびが詠まれ,武士の合戦を扱った『平家物語』『太平記』が記された。また『職人歌合』のように,職人や庶民が歌に詠まれ,室町時代になると『御伽草子』や狂言の中に庶民が主人公として登場した。注目すべきは中世に盛んにつくられた絵巻物で,これには所々に町や村の風景,庶民の生活が描かれており,中世社会を示す重要な史料である。室町時代になると,座の文学としての連歌,農村の田楽や猿楽から発展した能楽,さびの世界を描く水墨画,貴族の闘茶と村の寄合茶から生まれたわび茶などが隆盛を極めた。