●中国のイスラーム ちゅうごくのイスラーム
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中国のムスリムは,1978年の調査によれば,約1,300万人と推定されている。【中国のムスリム】中国のムスリムは少数民族に属し,回族・トルコ系のウイグル族・カザック族・キルギス族・ウズベク族・タタール族・サラ族・イラン系のタジック族・モンゴル系の東郷族・系統不明の保安族から成る。回族以外の民族は,新疆ウイグル自治区・甘粛省・青海省に居住している。回族は,トルコ系・イラン系・アラブ系のムスリムが先祖であり,唐代以後現在に至る長期間にわたって,漢民族と混血を重ねて形成されてきたものである。中国語を日常語とし,衣服や住居なども漢民族と変わりなく,中国的ムスリムという意味で,かつては「漢回」と呼ばれていた。ウイグル族は彼らのことを「東干」と呼んでいた。回族は中国各省に居住しているが,中国政府の民族政策により少数民族の一つとして位置づけられている。全人口の94%を占める漢民族のなかにも若干のムスリムがいる。中国においてはムスリムの問題は,民族問題であるということができる。
【ムスリムの渡来】中国にいつイスラームが伝わったのかははっきりしない。『旧唐書』『新唐書』の大食列伝によれば,651年(永徽2),大食(ウマイア朝)の使節が中国に来た記録がある。以後,唐代には36回,宋代には19回,大食(751年以後はアッバース朝)の使節が中国を訪れている。彼らは陸・海両路を経由して中国に渡来したがその目的は交易に置かれていた。使節以外にも,多くのムスリム商人が中国に渡来し,長安・広州・揚州・泉州・海南島などに居住した。彼らは,漢民族とは別個の社会を形成し,蕃坊と呼ばれる居留地に住んだ。たとえば広州の場合,蕃坊は珠江に近い西域にあり,唐末には10万人を超える外国人が住んでいた。その多くはムスリムであったと言われている。蕃坊には蕃長司という役所が置かれ,中国政府が任命した蕃長の指導のもとに自治が行われた。このため,イスラームが漢民族の間に普及することはなかった。また,イスラームには聖俗の区別がなく,宣教に従事する聖職者もいなかったので積極的な伝道も行われなかった。唐代のムスリムはイスラーム帝国の使節で,同時に国家間の貿易に従事した。宋代にはイスラーム帝国の使節以外に地方政権や都市のムスリム商人が渡来し,居留地を中心にして中国内地に商業網をはり東西貿易を行った。この間,中央アジアがイスラーム化されソグド商人らが改宗した。また,イスラーム政権カラハン朝の支配は中国の西北にも及び,ムスリム商人がモンゴルや華北にも入った。彼らによって若干の漢民族がイスラームに改宗したと言われている。
【中国ムスリム社会の形成】ムスリムが中国各地に広く居住するようになったのは,元代以後である。 13世紀,モンゴル帝国の成立により,アラブ・イラン・トルコ系のムスリムが商人・職人・兵士として中国に移住した。彼らは元朝の保護を受けて活動し,その結果,漢民族やモンゴル人のなかに改宗者が現れた。イスラーム文化も普及し,医学・薬学・天文学・暦学などが伝わり,回回天文台の設置や授時暦の発明など中国文化の発展に寄与した。明代になると,元代以来居住したムスリムが中国各地に定着し中国に帰化した。その子孫は,漢民族と結婚を重ね,姓名も中国風に改め,言語も中国語を使用し,生活の全般にわたって中国化していった。しかし,宗教的にはムスリムとしての自覚と信仰を保持し,モスク,すなわち清真寺を中心に集住した。これを清真寺共同体と呼んでいる。このようにして回族の民族形成が行われ,彼らは回民と呼ばれた。回族の間には,コーランはもちろんアラビア語やペルシア語の経典が伝わっていたが,明末(17世紀)以後,護教的立場からそれらの漢訳を行い,イスラームの教義を中国語で著述する学者(回儒)が現れた。
【中国ムスリム社会の発展】清代,西北中国では門宦と呼ばれるイスラーム神秘主義教団による布教が行われ,中国イスラーム社会は発展を続けた。漢民族や少数民族の間にも改宗者が現れた。ムスリムは清真寺を中心に居住し,運輸業・飲食業・小商売などの商業活動に従事し,漢民族とともに中国経済の一翼を担った。一方,人口の圧倒的部分を占める漢民族との対立・抗争がおこり,いわゆる「漢回問題」が各地に発生し,漢・回両村落の戦いや漢民族によるムスリム殺害事件(洗回)なども起こった。また,西北中国では狂言的なスーフィー教団に属するムスリムがスンナ派ムスリムと対立し,これに清朝が介入してムスリム反乱へと発展した。清末,外圧と内政の乱れから社会が動揺すると,雲南省と西北中国で大規模なムスリムの反権力闘争がおこった。これらは回民起義と呼ばれる。なお,20世紀に入ると,西アジアのイスラーム世界との接触がおこり近代中国イスラームの革新運動がおこった。1927年には,コーラン全巻の中国訳『可蘭経』も出版された。
【現代中国とイスラーム】1949年,中華人民共和国が成立すると,中国政府は中国共産党の民族政策のもとに,中国的ムスリムを少数民族回族として位置づけ,寧夏回族自治区をはじめ自治州・自治県・自治鎮・自治郷などを置き,自治体制をとらせつつも行政的にこれを統制する政策をとった。回族以外のムスリムである9の少数民族に対しても,新疆ウイグル自治区などを設け同様の政治体制を敷いている。また,清真食料品店や回民食堂などをつくり,ムスリムの風俗・習慣を尊重している。文化大革命は中国ムスリムに対しても深刻な影響を与えたが,四人組追放後は清真寺の修復なども行われ,礼拝にも多くの信者が参加し人口も増加しているという。一方,回族青年のなかにはイスラーム信仰を捨てる者も出ている。
【中国イスラームの性格】中国ムスリムのほとんどは,宗派の上ではスンナ派・なかんずくハナフィー派に属する。しかし,宗教儀礼などはペルシア的であり宗教用語もペルシア語が多い。シーア派的要素も見られる。フランスのドロンヌ調査団が収集したイスラーム経典には,スーフィズムやシーア派のそれも多い。イスラーム社会の宗教上のことはアホン(阿衡・阿ホン※注1※)が指導するが,清真寺共同体の実質的指導者は郷老と呼ばれる人々であった。中国は非イスラーム国家であるため,ムスリムは六信五行を完全に守ることはできない。豚肉不食の戒律などは比較的よく守られているが,〈三個回回是回回,両個回回是回回,一個回回不是回回〉,すなわち三人のムスリムで一人前のムスリムとも言われた。回族は漢民族とは容貌の上で区別はつかないが,男性のなかには半球型の白帽を着用する者がいる。女性はチャドルを着用しない。西安の清真大寺などに見られるように,清真寺は外観は中国建築(閣・亭・楼)のものが多いが,モスク内部のミフラーブ・ミンバルなどはイスラーム様式であり,アラビア文字が図案化されている。かつて,中国では,ムスリムを「回民」とか「回回」と呼んでいたが,これは,元代に西方からきたムスリムを「回回」と呼んだことに基づく。16世紀以後,これらが中国ムスリムをさす語として用いられてきた。しかし,現在では,中国政府の民族政策に沿ってこれらは回族の意味で用いられている。ムスリムは「穆斯林」,イスラームは「伊斯蘭」と,その音を漢字で記している。
〔参考文献〕今永清二『中国回教史序説−その社会史的研究』1965,弘文堂
中田吉信『回回民族の諸問題』アジアを見る眼40,1971,アジア経済出版会
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