●中国社会史論戦 ちゅうごくしゃかいしろんせん
アジア 中華人民共和国 AD
1920年代から1930年代にかけて,中国において行われた K.マルクスの理論,唯物弁証法に基づいて中国社会の変革をいかに遂行していくか,それに関して現に直面する中国社会の構造的性格と発展段階とをいかに規定すべきか,またいかなる戦略・戦術によって革命を推進していくべきかという論戦。論戦は,ソ連のコミンテルン内において,スターリン派とその反対派トロツキー派との間の中国社会の性格・段階規定をめぐる問題に端を発しているといわれる。問題の焦点は,革命の対象である中国社会が,基本的に資本主義社会に到達しているか,それともなお封建社会ないしは半封建社会であるのかということであり,来るべき中国革命が社会主義革命であるのか,それともブルジョワ民主主義革命と見るべきなのかという問題でもあり,それを実践するための戦術の問題でもあったのである。ソ連内の少数派トロツキー派,および中国共産党内の陳独秀らは,中国社会の現段階を資本主義と規定し,来るべき革命は労働者階級を中心とする社会主義革命であるとし,打倒されるべき対象は帝国主義勢力と連携する国内の資本家階級であった。一方,ソ連邦のスターリン・ブハーリンら,中国共産党内の李立三らは,封建派の立場に立ち,中国社会を半封建・半植民地社会と規定した。打倒さるべき対象は,帝国主義勢力と結合した封建的諸勢力(地主・軍閥)ということになってくるのである。したがって,戦術として要求されるのは,反帝国主義的民族運動と,封建的勢力打倒のための土地改革が日程に上がって来ざるを得なかった。しかしこの封建派の認識の正しかったことは,その後の中国革命の進展とその成就によって明らかに証明されたのであった。その歴史的意義は,中国社会構成の体系的把握への端緒となったこと,机上の空論ではなく変革すべき中国社会と密着した優れて実践的な論戦であったことであろう。さらに言えば中国民衆の圧倒的部分を占める農民が,労働者階級と同盟して現代中国を創造する社会的勢力にまで「成長」せしめられ,今日の中国の基礎がこの論戦を契機として培われていったことである。