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●中宮 ちゅうぐう

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 律令制において三后(皇后・皇太后・太皇太后)の居所ないしは三后をさし,職員令によれば中務省中宮職がその事務を担当した。実際は奈良〜平安前期のころは皇太夫人の称であったらしく,令規定の官庁中宮職も,皇太夫人藤原宮子(文徳天皇の夫人で聖武天皇の生母)のためのもので,729年(天平1)の光明立后後は令外官として皇后官職が併置されていた。平安中期,醍醐天皇の皇后の藤原穏子に中宮職が置かれて,彼女が生涯“中宮”と称されてから皇后の別称として使われるようになった。しかし,一条天皇の時代,藤原道長が娘彰子の立后を図り,1000年(長保2),既存の中宮である定子(前関白で道長の兄にあたる道隆の娘)を皇后として女彰子を中宮とするという,かつてない一帝二后並立の状態が現出し,これより以降“中宮”は皇后以外の后,実質上は何ら皇后と相違のない皇后とは別の后の名称となった。