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●中央アジアの諸民族(歴史) ちゅうおうアジアのしょみんぞく(れきし)

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 中央アジアとは,パミールを中心として天山・崑崙山脈によりつくられる空間にタクラマカン砂漠が広がる東トルキスタンと,アラタウ・ヒンドゥクシュ山脈に囲まれてシル河・アム河がアラル海に注ぐ西トルキスタンの地域をさす。この地方はトルキスタン“トルコ人の土地”と称される如く,基本的住民はトルコ民族であるが,古くはアーリア人(インド=ヨーロッパ人の一支派)の世界で,言語的には古代オアシス国家を築いたアーリア系のほか,トルコ系・チベット系・蒙古系などの民族がいた。この地域では天山山脈・シル河を結ぶ線の北を舞台とする遊牧民と,南に住むオアシス農耕民の対立と共生の歴史が展開された。

【アーリア人時代】アケメネス朝が成立した前6世紀,すでにソグディアナ・バクトリア・コラズミアがあり,シル河方面にはイラン系遊牧民サカ族がいた。オアシスの住民もイラン系で,とくにソグド人は隊商貿易に活躍し,東西交渉に重要な役割をした。アレクサンドロス東征後,バクトリアなどにギリシア人が進出しヘレニズム世界が成立するとそれは東方にも伝播した。パミールの東では前3世紀ころから騎馬民族の活動が活発化した。西域貿易を独占していた月氏を匈奴が攻撃,月氏はイリ方面に移りさらにジュンガリアの烏孫に追われた月氏はアム河北に移動。その結果,匈奴は河西からタリム盆地烏孫はイリ地方,大月氏はアム河の北,南は大夏が領有することになった。前1世紀ごろ大月氏は大夏を征服した。西トルキスタンでは5〜6世紀,エフタル族が強盛となった。

トルコ族の台頭】5世紀末,柔然に服属していた高車(鉄勒)がジュンガリアで独立した。6世紀半ば突厥がこれに代わって勢力を拡大,西は中国を圧迫,東はパミールを越えてエフタルを破りソグディアナを征圧した。突厥は後に東西に分裂し,トルキスタンは西突厥の配下に置かれた。8世紀半ば突厥に代わりトルコ系鉄勒の一派ウイグル(回鶻)が強盛となった。9世紀半ばウイグル本国が崩壊しその一部が東トルキスタンに進出した。こうした高車・突厥・ウイグル等のトルコ民族の台頭によって,土着のアーリア系住民はしだいに同化され駆逐された。トルコ人の一部は遊牧生活からオアシス農耕に転じ,隊商活動に従事してしだいにトルコ化を進めていった。この間,7〜9世紀吐蕃がチベット族を統一,勢力を拡大して一時長安を攻め河西・タリム盆地に進出した。11世紀,チベット系タングート族が建てた西夏も中継貿易で栄えた。

【アラブ人の進出とイスラーム化】7世紀西アジアを征服したイスラーム軍は,8世紀ブハラ・サマルカンドを攻め,この地方のイスラーム化を始めた。9世紀末イラン系のサーマン朝が興ったが,この王朝もトルコ系のカラ=ハン朝に滅ぼされ,西トルキスタンのトルコ化・イスラーム化は一段と進んだ。751年のタラス河畔の戦以後,イスラームはパミールを越えて伝播した。東トルキスタンのイスラーム化は,9世紀半ばウイグル人の下で進行した。

【モンゴル人の進出】13世紀モンゴル帝国はユーラシアを征服した。その結果,中央アジアにはチャガタイ汗国が成立した。この汗国もトルコ・イスラーム勢力には抗しきれず,1世紀余りでイスラーム化された。14世紀にはティムールが興った。16世紀,トルコ系ウズベク族はティムールを倒しウズベク汗国を建て,シル河北の同系のカザフ・キルギス遊牧民と対峙した。汗国は後にヒバ・ブハラ汗国に分れた。18世紀にコーカンド汗国が独立した。東チャガタイ汗国は後にカシャガル汗国と呼ばれ,天山北のオイラート族(のちのジュンガル王国)と対立抗争を繰り返した。

【近代】清朝はジュンガル王国とカシュガル汗国を征服,1882年ここに新疆省を置いた。ロシアは19世紀中央アジアを征圧した後,1898年トルキスタン省を設立し,革命後ウズベク・タジク・トルクメン・キルギスの諸共和国を置いた。

〔参考文献〕松田寿男『中央アジア史』1955,アテネ文庫

護雅夫ほか編『東西文明の交流』1970,平凡社