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●紂王 ちゅうおう

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 中国,殷王朝最後の王。前11世紀ごろの人。名は受,帝辛ともいう。後世夏王朝最後の王である桀王と並び,代表的な亡国の暴君とみなされる。『史記』殷本紀などによれば体力・知力ともに優れるが,乱行が多く,妲己(だっき)を寵愛してその言をすべて聞き入れ,賦税を重くし宮苑を広げ,酒色に溺れて終夜の宴を行った。彼を諫めた微子啓は亡命し王子比干は殺され,箕子(きし)は狂気をよそおって奴隷に身を落とし,賢者商容は廃されるに及んで,諸侯は殷王朝に背き,ついに都,朝歌(河南省湯陰県)に近い牧野の戦いで周の武王に敗れ鹿台に火を放って死んだという。しかし甲骨文・金文によれば,山東から江蘇に及ぶ東方の夷族人方を征伐し,祖先祭祀も厳格に行われ国勢は盛んであったことが明らかである。殷王朝の関心が東方に注がれた間隙をついて,両方の周を中心とする勢力がこれを滅ぼしたというのが史実に近いであろう。