●中印国境問題 ちゅういんこっきょうもんだい
アジア 中華人民共和国 AD
中印国境線には不明確な所が多く,東部国境のマクマホン=ライン地区,西部国境のラダク地区が現在も係争地として残されている。中印国境問題の解決が難しいのは,それがチベット問題,さらに印パ関係,中ソ関係と複雑に交錯しているからである。1954年,中印両国は平和五原則のもとに国境問題で争わないことを宣言した。しかし1959年のチベット反乱でダライ=ラマがインド亡命したことから中印関係は緊張し,1960年の周恩来・ネール会談も不成立に終わり,1962年には大規模な武力衝突に発展した。中印関係の悪化は中パ関係を好転させ,1965・1971年の印パ紛争では,中国は中印国境で陽動作戦に出てパキスタンを支援した。また1959年の中印国境紛争でソ連がインド側に立ったことが,後の中ソ対立の一因となった。しかし最近,ダライ=ラマが帰国の意思を表明しており,中印両国間にも和解の気運があり,具体的な国境交渉が始められる。