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●チャルトルィスキ

ヨーロッパ ポーランド共和国 AD1770 

 1770〜1861 ポーランドの政治家。リトアニア大公ゲディミナスを始祖とする名門貴族チャルトリスキ公家の出身。イギリスや西ヨーロッパ各国に留学したあと,ポーランドの新憲法を擁護する立場から1792年の対ロシア戦に参戦する。後にロシア宮廷入りしてロシア皇帝アレキサンドル一世に協力,ロシアの外相代理(1802),ウィルノ大学評議員(1803〜1824),外相(1804〜1806)を務め,ナポレオン没落後のウィーン会議に出席しポーランドの権利拡大に努めた。翌1816年アレキサンドル1世と対立し引退する。1830年のワルシャワ蜂起の際,国民政府議長に挙げられ,私財を投げうって画策に努めたが途中で辞職する。対ロシア蜂起敗北後はパリで亡命政権を指導,西欧諸国の保護によるポーランド独立の方針に転換する。かくれた国王と呼ばれた。国際連盟の創設を提唱した著書『外交論』(1827)が有名である。