●茶筅 ちゃせん
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近世被差別部落民の名称の一つ。但馬・因幡・伯耆・備中地方に多く見られ,穢多・非人ではなかったが,一種の賤民とみなされていた。茶筅をつくり販売したためこの名称がある。田畑を所持するものも多い。元来百姓と同等に扱われてきたが,1778年(安永7)幕府の触書によって茶筅が取り上げられ,穢多頭の支配下に組み込まれている。そうでなくても百姓より一段低く取り扱われるようになり,百姓と縁組や仏事のつき合いはなく,宗門人別帳には百姓と同一帳面に載せられている。水呑百姓の末と認められているが,五人組帳では茶筅は茶筅同士で組み合わされ,村役人層に呼び出されるときには,百姓の末席の列座にすわらされている。村人足には使われたが公事の御用人足には使われない。牢番や医事に使われている。したがってかなり百姓と扱いが異なっている。