●茶業 ちゃぎょう
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茶の製造・販売の業をいう。茶樹の原産はアジア南部の亜熱帯地方であるが,現在は世界各地で生産され飲用されている。ここでは,日本の茶業に限定して概観する。【日本茶の生産】1983年(昭和58)現在,日本茶の主産県の茶園面積と全国比は,上位から次のようになっている。[1]静岡22,800ha(37.4%),[2]鹿児島7,580ha(12.4%),[3]三重4,120ha(6.8%),以下,埼玉(5.3%),熊本(3.6%),宮崎(2.9%),京都(2.8%),福岡(2.7%)と続く。全国の茶園総面積は61,000haである。
茶園で摘採された「生葉」を一次加工したものが「荒茶」といわれるが,1983年度の荒茶生産は,全国総計102,700トン,上位3県では,静岡51,400トン(全国比,50.0%),鹿児島12,700トン,三重7,160トン,以下,奈良が入るほかは,上記茶園面積の大きい県が続いている。
茶の栽培は鎌倉期に始まるが,茶園栽培の形態をとったのは江戸時代末期で,静岡県で例をとれば安倍川上流域と大井川上流域の山間部の村々のみである。日本の茶生産が本格化したのは,幕末1859年(安政6),横浜開港により茶の輸出が始まったことによる。需要の拡大により,明治維新以降,士族授産の一環として丘陵地帯の開墾・茶園栽培が大いに進んだ。静岡県下では,牧之原1万5千町歩の開墾が最も大きい。そのほか,士族授産とともに,宿場廃止に伴う交通労働者救済のため,入会地開墾・茶園造成が進められた。富士山南麓・愛鷹山西麓付近の内山・遠州三方原などがそれである。静岡県の茶生産は,明治20年代には,第2位の三重県の3倍となり,さらに大正10年代には全国の総生産額の3分の1を占め,今日に至る茶の生産王国の地位を固めている。
【日本茶の製造工程】茶の製造は,明治中期ごろまではすべて手づくりであったが,現在は機械化が進み,ほとんど製茶機械によって行われている。製造工程は,第一段階の「荒茶製造工程」と第二段階の「仕上茶製造工程」に分かれる。
「荒茶製造工程」は,次のようになっている。[1]茶畑から茶の葉の摘採。摘採時期は,普通,一番茶から四番茶まであり,早場所,平坦地,山間地により約1カ月のずれがあるが,早場所では一番茶が4月中旬から,以下,二番茶5月下旬,三番茶7月中旬,四番茶9月上旬となっている。一番茶は,早場所および山間地では手摘み,そのほかは全部,動力摘採つまり茶摘機によっている。早い時期の上質のものは手摘みということである。[2]蒸機。集めた茶の葉「生葉」を給葉機で蒸機に送り蒸気で蒸す。[3]冷却機。蒸された茶の葉の水分を取り除きながら冷やす。[4]粗揉機(そじゅうき)→揉捻機(じゅうねんき)→中揉機(ちゅうじゅうき)。揉みながら熱風で乾かす。[5]精揉機(せいじゅうき)。茶の葉に熱と力を加え形を整えながら乾かす。[6]乾燥機。揉みあげた葉を十分に乾かす。ここまでが荒茶製造工程で,この茶を「荒茶」と呼んでいる。次に,「仕上茶製造工程」を述べる。[1]仕上総合機。荒茶は,形が大小さまざまでまじり合っているのでふるい分け,木茎分離,風撰して形を整える。[2]仕上茶乾燥機。茶をさらによく乾燥させ,茶の独特の香りや味を引き出す。[3]選別機と合組機。製品の調整・配合と均一化をはかる。ここまでが「仕上茶製造工程」であり,製品は「仕上茶」と呼ばれる。この茶が,計量・包装されて販売ルートに乗って消費者の手許までいく。
【日本茶の流通】生茶・荒茶・仕上茶のそれぞれの段階で流通が行われる。生産の流通量は荒茶工場の共同化により生茶生産と荒茶加工の結びつきが強まり,流通量は減っている。荒茶は,仕上加工業者である茶商・農協・自家加工とに分かれて流通するが,茶商扱いが約60%,静岡県内では業者が約600社ある。仕上茶の流通では,昭和58年,輸出が2,080トン,輸入が2,422トンあり輸出先はアメリカが92%と大部分,輸入先は台湾が第一位となっている。
〔参考文献〕「静岡県茶業の現状」1984,静岡県農業水産部茶業農産課