●地方史研究 ちほうしけんきゅう
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歴史研究の一分野。当然中央史研究とか全国史研究とかいう分野があり,それに対応するのがこの分野であるということになる。地方史研究が現状のように盛んになったのは,第二次世界大戦が終わり,大日本帝国の中央集権的歴史研究に対する一つの反省ないしは反動としての思潮が,歴史研究に影響したところがある。もちろん日本という一つの国家のまとまりのなかで,国内の特定地域について研究することは古くからあったが,概ねそれは中央機関の地方把握ということが主たる目的になっていた。たとえば古代に日本律令国家の行った風土記の撰進とか,特定の研究者によって編修されたと考えられる『国造本紀』も,もとになった史料は国家がまとめた『国造記』(大宝2年紀4月条)であると認められるし,近世に各地に存在する郡邑記・郷村記の類も,多くは諸大名の行った“風土記書上”の行政処置に伴って構成された資料に基づく史誌である。文人の旅行記などは私的なものではあるが,それは史的研究よりも現状を記録する地誌としての本性が強い。それさえも古川古松軒の『東遊雑記』を例示できるように,幕府巡見使の随行記であったりするものが多い。近代になって郡区町村制や市町村制が施されるに及んで,いわゆる地方自治体の自覚に促された地方史研究は興ったが,それらも多くは地方誌における一部歴史的研究という色彩が濃厚であった。ただ,大正末期に郡制が廃されるについて,郷愁を伴う郡誌や郡史をまとめる動きが生じ,それが昭和初期にまでわたる“郷土教育”という教育理念の形成や,教育運動・学習活動の実践展開に伴い郷土史研究の盛行をみたことは,自発による地方の歴史の研究として特筆に値することであった。しかし,必ずしも科学的な史学研究を経験した者ばかりではない当時の著述者や編集者の手になる著作物は,郷土社会の史学的研究よりも,郷土世界の懐古礼賛になる傾向があって,中には完全なお国自慢的なものも出来した。それにもかかわらず,第二次世界大戦に向かう世情の中では,その郷土愛が即国家愛に結びつくものと評価されたり受け止められたりした結果,むしろ世界的傾向として郷土史研究が承認される流れがあった。ことに第一次世界大戦において敗れた側や,この大戦で中途半端な国家利益しか得ず,国際的に不完全燃焼的不満を持つ国にその傾向は強かったといえる。ドイツなどとともに日本もその中に含まれていた。第二次世界大戦以後,国家史に距離をおいた地方史研究が始まると,青年たちによる地域研究などの動きが全国いたる処に生じたが,ややもするとそれは社会経済史に偏していたり,伝統否定の色彩が強いものであったりして,かつての郷土礼賛とは逆の現象を呈するものもあった。戦後数年にして歴史学者の提唱に基づく全国的運動,近世庶民史料調査はそこに一つの契機をもたらした。史料あるところ史学研究興るという情勢を振起したからである。やがて昭和30年代に入ると,各地方自治体が都道府県史・市町村史の編さんを公的に試みる動きが顕著になり,成果の刊行も盛行した。同時に地方史という中央史に対する概念を持つ立場を否定し,地域史としての主体性を持つべきであるとする理念や主張が強まった。それを受けとめて形にすることができたのは,戦後の学制改革によっていわゆる地方大学が各地に開かれ,ほぼ10年に達した各大学の研究能力が,旧時代の師範学校の郷土史研究の水準や,高等・専門学校の地方史研究の関心を遥かに超える高さや深さを備えてきていたからである。行政主導の編さんは時間と予算という絶対的な枠があるが,地方の研究者や大学が中心になって組織した歴史研究の学会は,中心になる人によって時に消長があるとはいえ,長く静かに継続する地方史研究をも学界に定着させた。九州地方の歴史研究・東北地方の歴史研究というようなやや広域にわたる地方史研究の成果が,次々に世に問われるようになってきた。単に地域史に限定された視野ではなく,広くヨーロッパ諸国の地方史研究のあり方を,学問的に睨み合わせながら,それに関与する世界史学者も出現していた。さらにそれは,昭和40年代後半から,文明論・文化史論的に拡大された視野から地方史研究に発言する学者・文化人の登場をも招来した。そこには当然戦後の社会経済史主流の学風に対する反省や批判も加わることになる。こうした総合的地方史研究の進展は出版界にも影響し,多くの県史シリーズや,地方史叢書が世に問われることになったが,見落とすことができないのは,学校教育における社会科歴史の学習について,児童生徒の教材や副読本として,地方史書のジュニア版や教材メディアが多数生まれたことである。国定教科書で国家史を学ぶことで終始した世代に比べ,こうした学習経験を持つ新しい世代は,幼少にして地方史に開眼しそれを知っているということになり,さらに高度の地方に関心を持って求めたり自ら研究したりするようになる。地方史研究が専門の研究者だけでなく,広く一般化すればするほど,そこにはまた“新しい郷土史”と呼ぶべきものの存在が必然的に呼び起こされることになる。昭和50年代半ばからその傾向は明確な形となって表れている。第二次・第三次産業の発達は,日本全国に郷里を出る人々を多数生みだした。しかしいわゆる高度経済成長期を経過して一息ついた人々は,ひたすら故郷を恋うるだけではなく,自分の居住する新しい郷土に対し,単なる地域社会の理念や感情を超えたものを生み出しつつある。ましてやその地で生まれ育ったジュニア世代においては,そこが首都圏や近畿圏の新開の居住地であろうとも,やや自然に乏しい団地地区であろうとも,郷土以外の何ものでもない。その地方の歴史の研究が単に客観的・無機的に展開されているだけでは,人間として満足することは不可能である。情感を伴う有機的な研究に期待する希求は避けられない。そしてそれは人間生活の展開の中で一面の妥当性を持っている。父母にとって故郷でないにしても,若い世代にとって郷土である以上,その郷土たる地域の地方史研究,個別領域をもつ専門分野史の深く鋭い研究は,一層進められるべきであるが,それが総合的にまとめられるとき,さらに一般の人々の求めと対応するとき,地方住民を中心とした人々の心の動きを無視するようなことはできない。科学的に正しく人間生活の求めに対応している新しい地方史・新しい郷土史が,現下の課題となっている。地方史研究にとって,もう一つの大きな視点である中央史・国家史との対応の問題は,当初国家史の統制から離脱しようとする一面の強いものであったとしても,国家と絶縁した地方は存在しないし,また地方を含みこまない国家というものも存在しない。国家と地方とは切っても切れない一体の関係にある。細微な地方の歴史が究明されるたびに,国家史全体は内容を増大し質を高める。そしてその国家史の発展に伴う成果が,また地方史研究に対して新しい視野や方法論をもたらす。日本史学にとって日本全体史と地方史とは一体である。地方史の主体性は日本全体史を侵すものではないし,日本全体史の尊重が地方史の立場を低下させるものでもない。新しい地方史の進展と日本全体史の進展は,ともに触発しながら併行して進むべきものである。