●智積院 ちしゃくいん
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京都市東山区大仏東瓦町にある真言宗智山派の総本山。山号は仏頂山・仏頭山・一乗山ともいう。もとは紀伊国の根来大伝法院として大いに栄え,僧兵の活動も活発であった。しかし1585年(天正13)に豊臣秀吉の根来攻めによって堂舎は焼失した。その時三世の能化玄宥は追われて京都に来て布教し,1600年(慶長5)徳川家康によって現在地に再興され今に至る。その地はもともと秀吉が受児棄丸の菩提のために建立した祥雲寺の故地であった。大書院は桃山城の遺構で,上段の間・桜の間・楓の間・宸殿上段の間・竹の間・方丈殿秋草の間の六室にわたって華麗な障壁画が描かれており,いずれも国宝・重文に指定されている。なかでも楓・桜・松の三図が名高く,桃山時代の障壁画を代表するものである。作者については諸説があり,狩野永徳・山楽ともいわれるが,長谷川等伯とその一派が祥雲寺の障壁画として描いたものという説が有力である。
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