●竹林七賢人 ちくりんしちけんじん
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中国3世紀半ばごろ,清談を事とした7人。竹林七賢の呼称は,東晋末ごろまでに名士の奇言奇行が半ば伝説化されてまとめられるなかで発生したと考えられ,南朝宋の劉義慶(444,元嘉21没)の『世説新語』任誕篇に〈陳留の阮籍・ショウコク※注1※のケイコウ※注2※・河内の山濤の三人は年みな相い比ぶ。康は年少にしてこれに亞(つ)ぐ。この契に預る者は沛国の劉伶,陳留の阮咸,河内の向秀,ロウヤ※注3※の王戎なり。七人は常に竹林の下に集まり,肆意(しい)に酣暢(かんちょう)す〉とあるが,彼ら7人が同時に竹林にそろったという証拠を欠く。阮籍(210〜263,建安15〜景元4)は世に対する憂悶と反俗精神で,ケイコウ※注2※(223〜262,黄初4〜景元3)は,『絶交書』に見える妥協しない自我意識と『養生論』に表された神仙思想で代表格とされる。他に『荘子注』を著した向秀,無類の酒好きであった劉伶,琴の演奏と改良をした阮咸,吏部尚書となり公正な人事をとった山濤(208〜283,建安13〜大康4),処世に巧みで高官に登った王戎が数えられる。彼らは共通して極度の政情不安のもとでの中国知識人のあり方を典型的に示していると考えられる。
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