●治外法権 ちがいほうけん
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国の機関やそれに所属する人間が外国において享受する特権をいう。外交使節,元首,軍隊,軍艦などは国際慣習法のうえで治外法権をもち,とくに外交使節や元首は,駐在国での裁判権,課税権,警察権に拘束されず,その住居や事務所も不可侵の権利が認められている。軍隊や軍艦もその国の承認のもとに領海内や領土に入った場合,当該国の行政権や裁判権の行使を受けないものとされている。そのほか,国際司法裁判所の裁判官や国際連合の事務局長や事務局首脳とその家族に対しても治外法権が認められている。こうした治外法権とは別に,かつて欧米資本主義国がアジア諸国を従属させる過程で不平等条約を強制し,その中に含まれていた領事裁判権を治外法権の一種として考える立場がある。領事裁判権の設定は,当該国を後進国とみなし,近代的な法律制度が不定全であることを理由としたものが多いが,当該国の側が宗教上や伝統的意識のうえで他国を異端として扱ったことに由来する場合もある。領事裁判とは,当該国の国民に対する外国人の犯罪は,外国人の所属する国家の法律によってその国の領事が裁判を行うことをいう。そうした領事裁判では,つねに外国人に有利であったため,不平等条約のなかでもとりわけ屈辱的なものとうけとめられ,独立国家の内実を獲得するためには法権の回復が不可欠の条件であると認識された。領事裁判が設定された国としては,トルコ,中国,ペルシャ,タイ,モロッコ,エジプトなどがあり,日本も1854年(安政1)の日米和親条約を端緒とし,それ以後,各国との条約で明確に規定された。明治維新後,明治政府は条約改正の実現を外交課題のなかで最も重要なものと位置づけ,外務卿寺島宗則のもとで改正交渉に着手した。当時,わが国の法体系や司法制度が未整備であったため,まず関税自主権の回復を目標としたが,そのころおこった外国人によるアヘン密輸事件が領事裁判で無罪になったことなどから世論は沸騰し,領事裁判権の撤廃を要求する声が高まった。そのため,寺島の後をついだ外務卿井上馨の改正交渉では関税自主権の回復とともに領事裁判権の撤廃をも加えることになり,交渉を重ねたのち,1887年(明治20)には外国人の裁判は外国人の裁判官を担当させ,日本が制定する諸法典も公布する前に諸外国へ事前通告をすることなどを内容とする条約案をつくった。この改正案に対する反対が,まず政府部内からおこり,たちまちに旧自由民権派の政客や国権派の人々も反対運動に立ち上がり,政府は交渉の中止を各国に通告し,井上外相も辞任した。つづく外相大隈重信の改正案は井上案を大幅に修正し,外国人の裁判官任用は大審院だけに限定することにしたが,その内容は本質的に井上案と変わらないものであるとして再び反対運動は高まり,玄洋社員のテロによって大隈は重傷を負い,再び交渉は中止された。こうした経緯をへて,政府は条約改正の方針として法権については完全対等の条約を結ぶことを基本方針とすることに決定した。1894年(明治27)7月,外相陸奥宗光のもとで進めてきた改正交渉が日英通商航海条約として締結され,これ以後,各国とほぼ同内容の条約が実現し,1899年(明治32)から領事裁判権については基本的に撤廃されることになった。中国においては,租界や租借地,公使館区域,鉄道付属地などにおける外国の行政権を総括して治外法権と称し,1920年(明治9)代以後,中国革命の重要な課題の一つはこれを解消することにおかれた。
〔参考文献〕山本茂『条約改正史』1943,高山書院
井上清『条約改正』1955,岩波書店