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●知恩院 ちおんいん

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 法然が開創した浄土宗総本山で今日の末寺7,000余という。念仏を説いた法然往生の地に廟が営まれたのち,門弟の源智がその周辺に諸堂を置き大谷寺と称しこれが知恩院の基となった。寺運大いに栄えたが応仁の乱により焼失,周与が近江に逃れ新知恩院を設けた。1478年(文明10),旧地に戻り,大永4年,浄土宗総本寺の称を許されて復興がすすみ,織田,豊臣,徳川3代の寄進で境域を拡張。とくに家康が生母菩提のため諸堂を構営し,歴代将軍もまた保護を加えた。3代将軍家光の復旧事業は規模が大きい。後陽成天皇は華頂宮門跡を始め明治維新で一時とだえたが,明治20年門跡称号が許された。京都の古建築で1,2を争う大きさの御影堂は家光の再建になる。このときの資材は甲府城築城用のものを急拠充当したものといわれ,知恩院と金戒光明寺は二条城外郭として軍事的応用を考慮したとの説も無視できない。華頂山中腹には法然上人の廟があり,また,宝庫には古写経,宋元画の有数なコレクションがある。

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