●チェコ事件 チェコじけん
ヨーロッパ チェコ共和国・スロバキア共和国 AD1968
1968年にチェコスロヴァキアで“人間の顔をした社会主義”を築こうとする民主的改革の動きが支配的になったが、ソ連などが軍事介入してそれを圧殺した事件。チェコスロヴァキアではノヴォトニー共産党第一書記のもとで“非スターリン化”が遅れ、知識人らの不満が強まり、1960年代の経済不振がそれに輪をかけ、1968年1月にノヴォトニーは辞任、改革派のドプチェクが後を継いた。政府や党の主要ポストに改革派が就任し、出版物に対する検閲が廃止され、“プラハの春”が到来した。4月には党の「行動綱領」が、また6月には作家らの「二千語宣言」が民主化の徹底を呼びかけた。ソ連、東ドイツ、ポーランド、ハンガリー、ブルガリアは8月20日、チェコに“反革命の危険”が迫っているとして、20万を越える軍隊によりスロヴァキアを占領した。チェコスロヴァキアでは党・政府・国会、その他あらゆる機関が抗議の声をあげ、市民はいっせいに非暴力抵抗を行った。しかし1969年4月にドプチェクは解任され、“正常化”が進行した。