●ダントン
ヨーロッパ フランス共和国 AD1759 フランス王国
1759〜94 フランス革命期の政治家。オーブ県アルシ=シュルキオーブの生まれ。父はバイヤージュの官職保有者。パリで弁護士になり,国王顧問会議付弁護士職を購入。革命勃発後,コルドリエ=クラブを創設し,ヴァレンヌ逃亡事件で国王の退位を要求。1791年11月末,パリ市第二助役に選ばれる。1792年7月末,国王権の停止を求める請願で自治区の運動を援助した。8月10目の蜂起後,臨時行政会議の法務大臣に登用され,ジロンド派とコミューンとの結節項を期待された。パリ県から国民公会に選出され,山岳派として国王死刑に投票。1793年3月初,ベルギーに派遣され,4月8日には公安委員会に加入。7月に退き,8月12日にパリで国民総徴用令を提案するが,恐怖政治にはくみせず,1794年になるとその停止を要求し,エベール派と対立した。同派の処刑後すぐロベスピエールから睨まれ,3月31日逮捕,弁明の機会なく同志13名とともに「寛容派」として処刑された。ブルジョワ的共和派連合を求めたが,金銭面でのうしろめたさを左右から攻撃され,つまずきとなった。