●譚嗣同 たんしどう
アジア 中華人民共和国 AD1865 清
1865〜98 字は復生,号は壮飛。湖南省瀏陽の人。父の譚継洵は1889年(光緒15)に湖北巡撫となった。嗣同は幼年より任侠を好み,古典や詩文も学んだ。だが6度郷試を受けたがついに及第せず,1894年(光緒20,明治27)の日清戦争を転機に科挙のための学問や考証学を捨てた。以前より『墨子』の自己犠牲の精神や王船山の思想にひかれていたが,これを契機に西欧政治思想や西洋自然科学,康有為の変法論,仏学思想を取り入れて理論形成をし,『仁学』(1897,光緒23)を著し,政治制度改革の合理性,儒教道徳の批判を説いた。他方,1895年(光緒21)湖南に強学分会設立を企て,のち金陵測量会(南京)・戒纏足会(上海)に参加した。また汽船・鉱山・鉄道の設立準備を通して湖南の開発につとめ,算学格致館や南学会・保衛局の設置など湖南変法運動を推進した。1898年(光緒24)6月に開始される戊戌変法では軍機章京となり,西太后のクーデタで挫折すると日本への亡命を拒否してすすんで捕われ,自らの鮮血をもって改革運動の高揚をねがった。