●短歌 たんか
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短歌と和歌はよく同義語にみられるが,この両者は異なった点をもつことが指摘されている。短歌をみるに際して,その定義を諸書がどのように扱っているものか,その点からみることにする。【定義】まず『日本国語大辞典』(1975・小学館)第13巻は「[1]和歌の一体・長歌に対して五七五七七の五句からなるもの。[2]主として中世歌学において長歌の誤称。[3]みじかい詩。」とし,『和歌文学辞典』(1982・桜楓社)は「歌体の一つの長歌に対する称。『古今集』雑体部に長歌の標目を「短歌」と記していることから,両者の別を,詠ずる声の長短に求めるなど諸説が生じたが,長歌を「短歌」と呼ぶ古今集は標目そのものが誤記されていると考えられている。……短歌は感動を統一的に表現するのにふさわしく,また各時代の感覚や情趣を盛り得る融通性を備えた形態であるといわれ,長歌・旋頭歌など他の歌体が平安時代以後衰えたのに対して,短歌は万葉・古今・新古今集に特徴的にみられる歌風の変遷や種々の歌論の展開を遂げながら,固有の形態を保ち,長く文学史の主要な部分を占めて今日にいたっている。これらで見るように,長歌に対する称であり,形式が五七五七七の引音よりなるものが基本の意味である。
【形式】五七五七七の5句31文字からなる。初めの五七五を上(かみ)の句といい,下の七七を下(しも)の句という。これら5句はさらにこまかく,第1句は起句・初句・頭句,第2句を胸句,第3句を腰句といい,第4句は改めた呼称はない。第5句は結句,尾句,落句などという。31音より少ない歌を「字足らず」,多い歌を逆に「字余り」の歌という。定形をよしとするが,字足らずや字余りの歌も多い。定形外では字足らずは少なく,字余りが多いといわれる。字足らずの例として〈為したきを識りたきを迫ひつめて脆き命のうつろひゆかむ〉(長沢美津)の29音があるが2音もたらぬのは珍しい例といわれる。他方字余りの例として〈海水浴より帰り来し子の所在なけに遊びゐしがやがて本箱を片づけ初めぬ〉(松田常憲)の43音がある。12音も字余りなのもまた珍しい例である。
【内容】古来短歌は生活と密接な関係があり,生活を歌の場としてきたが,こまかくみれば時代により異同がある。花鳥風月を中心とした時代,内面描写を主軸とした時代などのように。官能的描写や労働の歌などがうたわれ出したのは近代以降である。
【短歌と和歌】短歌と和歌は同一語ではない。和歌といえば,施頭歌(せどうか)五七七・五七七や片歌(かたうた)五七七,あるいは長歌(ちょうか)五七五七…五七七など,歌の形式のものすべてを含むが,短歌は五七五七七の形式だけである。また和歌は和(こた)ふる歌の意味だが,短歌は答歌としての和歌の性格をもたない。第3に,短歌は長歌について反歌の意味で使われる。その点,長歌のあとに“和ふる歌”の意として和歌が,反歌として来ることはない。第4に,31音の形式のものが,近代以前は和歌の呼称であったが,近代以降は短歌の呼称が一般的である。第5に,掛け詞・縁語・枕詞・序詞・係り結びなどの近代短歌には欠けているが,和歌にはよく用いられていた。第6に,近代以降の短歌では,助詞や助動詞が少なくなる代わりに,動詞で止めるのが多くなる点が,和歌と異なる点である。第7に,和歌が自然(花鳥風月)を重要な歌材とするに対して,短歌は生活歌,内面的心理,官能的面などに歌材が置かれるようになった。などがあげられる。
【短歌と狂歌】短歌と狂歌は同じ形式の31音からなるものだが,その性格に相違がある。狂歌の源流は『万葉集』巻16の戯笑歌をはじめ古くからあるが,これが流行しはじめたのは室町時代からである。しかし,盛況を期たしたのは近世・江戸期の天明期(1781〜89)のころで,代表的作家に『万載狂歌集』(まんざいきょうかしゅう)の四方赤良(よものあから)や朱楽菅江(あけらかんこう),唐衣橘洲(からころもきっしゅう)などがある。〈盃をさすが女の節句とてもものあたりに手まづさへぎる〉(四方赤良),〈口外へまだ出しいだつさねば三寸の我が舌にのみ思ふくるしさ〉(朱楽菅江),〈すむ影を見る目なげくもせんなしと独りまさぐる琵琶の半月〉(唐衣橘洲)などにみるように,その基本に戯(ざ)れのおかしみがある。こうしたものが同じ31音形式の短歌には,少なかった。歌といえば,花鳥風月や古歌の本歌取り,風流などという相場であったのに対し,人事を詠い,社会を歌い,それが戯れである点に両者の性格のちがいをみる。
【短歌と絵画】短歌と絵画は古くから密接な関係にある。代表的なものに,屏風画(びょうふうが)との関係がある。屏風画は平安時代に栄えたものだが,一幅(いっぷく)の屏風に絵と歌が存在するもの。したがって,絵画はその歌の内容を具体化し,歌はその絵画に内容を伝える関係に立つ。こうした絵画と歌の関係が,古今集以下八代集の美的技巧的傾向と無関係でないことは,すでにいわれていることである。
【短歌と国文学】短歌がもっともよくその特徴を発揮するのは,対外文学を見渡した時である。古代の物語の祖(おや)『竹取物語』をはじめとして,近世末期までの文学作品と銘打つもので,その作中に歌のみえないのは稀(まれ)である。極論をいうと,歌物語が日本文学であるともいえる。文学作品にみえる歌が付帯的なものでなく,一つの位置をつねにもちながら作品とともにある,それが歌とわが国文学との関係である。こうした例をほかにみることはない。幾多の抒情詩人を出したフランス文学,偉大な詩人ゲーテを生んだドイツ文学など,西洋詩の盛んなこれらの国にあっても,詩と散文学が,“伝統”的共存関係にはない。一時期に限らず,歌という韻文が散文と不可欠の関係で一国の文学として展開したのは,わが国ぐらいである。
【短歌と国民性】短歌と文学が密接な関係にあるように,短歌と国民性もまた,深いつながりをもつ。人の生死を岐(わか)つとき,歌をもって自己表出した国民は,日本人ぐらいであろうといわれる。それも一時期や一地方でのことでなく,民族の歴史とともに歩んでいた点が,外国からみたとき,一つの驚きであるともいわれる。死を直前にして苦しい息の下から「かぎりとして別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり」と歌った『源氏物語』の桐壺更衣。朝敵の身となり西海に落ちいく前,歌の師藤原俊成卿に歌を托す,薩摩守忠度(『平家物語』巻第7にあり)。赤穂義士(あこうぎし)で名高い浅野長矩(あさのながのり)の辞世の歌,あるいは今次大戦での戦争責任を問われ刑場の露と化した政治家の辞世の歌,あるいはまた,名もなき民衆の戦場に残した1片の歌など,生死の境にあってその感情を歌という韻文に托す国民は,わが国以外には見当たらない一大国民性といわれる。こうした国民性の基盤が,日常の短歌創作習慣にある点が指摘されている。さまざまな韻文形態のあるなかで,一つの形式の韻文が,国民のなかに根をおろし,盛況を持続しているのは珍しいことである。
【短歌と書道】短歌と書道は一見関係がなさそうであるが,その実,深いつながりによって結ばれている。掛け軸をはじめ色紙・短冊などに書かれる多くのものは,歌である。その歌の多くは草書体であって,平がなが多く用いられている。歌の内容が墨の濃淡とかかわって,深みを増す。墨の美と文学の美の融合である。書道のうち,漢詩文は楷書や隷書によって,書の美と結び,歌は草書によって書の美と結びついた。ことに歌人は歌人であると同時に,書家が素養として望まれている。名をなした歌人は同時に書家であることは,佐佐木信綱・与謝野晶子・吉井勇などの例によりみることができる。したがって,短歌の作者は書というもう一つの芸術の作者でもある。
〔参考文献〕近藤芳美『短歌入門』1979,筑摩書房
中野菊夫編『短歌のこころ』1979,有斐閣