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●ダールマン

ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD1785 ハプスブルク朝

 1785〜1860 ドイツの政治家・歴史家。当時,スウェーデン統治のヴィスマルの生まれ。コペンハーゲン,ハレの各大学に学ぶ。1809年,オーストリアの対ナポレオン戦役に参加。 1813年,キール大学「歴史学」教授,その間,シュレスヴィヒ=ホルシュタイン問題にも携わる。1829年ゲッティンゲン大学教授。この間にハノーヴァー憲法の起草にあたったが,1837年には「ゲッティンゲンの七教授事件」の主導者としてハノーヴァーを追われる。1842年,ボン大学「歴史学」および「国家学」教授,1848年にはフランクフルト国民会議において小ドイツ派の指導者の一人として活躍,また,ドイツ憲法の草案にも尽力した。しかし,ドイツ革命の挫折のあとは政治から身をひいた。主著は『政治学』(1835),『デンマーク史』3巻(1840〜1843),『イギリス革命史』(1844),『フランス革命史』(1848)など,またヴァイツと共編の『ドイツ史資料集』も有名である。