●田屋神明 たやしんめい
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伊勢神宮の末社の一種。伊勢神宮は皇室の祖先神であり民衆の参詣は許されなかった。しかし平安後期から一般民衆のあいだに寺社参詣をする風潮があらわれ,伊勢神宮もその対象の一つとなってきた。中世末から近世初頭にかけ,神宮側では伊勢御師と称する布教の徒を各地に送り出し,伊勢信仰の積極的な普及につとめた。田屋神明はこうしたなかで各地に成立する。田屋神明は[1]当該地域社会の氏神としての機能を有するもの,[2]伊勢神宮の末社的性格を有するもの,[3]氏神社に附設されたものに類型化される。その多くは伊勢御師が布教の拠点とした宿泊所である“旅屋(たや)”がしだいに神聖視され末社として位置づけられるようになったものである。本来,田屋は新田の開拓にさいして設けられた小屋のことであり,こうしたことから伊勢御師の布教の対象として,宗教的には未開拓の地である,新田の開拓地つまり田屋集落を設定したらしいことも推測できる。