●為朝伝説 ためともでんせつ
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源為義の八男。源義朝の弟。母は江口の遊女という。乱暴者で,13歳のときに父に鎮西へ追われ,源為朝と名乗った。風貌怪異,武勇に秀でた偉丈夫であったといわれ,その活躍のさまは『保元物語』に記される。彼は保元の乱では,父為義とともに上皇側にくみしたが,戦い敗れ,落ち行く途中を捕えられた。しかし弓矢の腕を惜しまれ,死一等を減じて伊豆大島へ配流された。のち伊豆諸島を従えたが朝廷の討手を受け,争いを避けて自害したという。伊豆八丈島の伝えによれば,為朝は大島で死なず八丈島,さらに小島に渡り自刃し,宇津木の八郎大明神と祀られたといわれ,大賀の宗福寺は代々為朝の後裔を名乗っていた。柳田国男は,伊豆諸島の為朝伝説に古い歴史はなく,『保元物語』についての伝聞とともに,巫女の唱導によって伝えられたとする。一方,沖縄諸島にも為朝伝説が伝承される。『中山世鑑』,『琉球神道記』,『南浦文集』,『定西法師伝』などによれば,為朝は伊豆大島から沖縄の運天港に渡来し大里大按司の妹と契って子の尊敦を生ませたが,やがてこの地を去り,尊敦は琉球国王の祖舜天王となったという。柳田は,沖縄に以前から存した英雄渡来の伝承に,知識人が為朝の名を付会したものと推論している。
〔参考文献〕柳田国男『伝説』1940,定本5