●ダマスクス
AD
シリア=アラブ共和国の首都,人口は114万(1978)。シリアの中央部に位置しているが,東西交流の要地であったため古代からその名が知られ,人類史上でも最古参に属する町である。前10世紀にはアラム人の都であったが,その後さまざまな権力者の狙うところとなり,支配者はめまぐるしく交代している。アッシリア,ペルシア,ローマの支配下に入り,それなりに繁栄しているが,最も隆盛したのは,ここを首都としたウマイヤ朝の時代であろう。イスラーム勢は,ムハンマドの没後背教に対する戦いに一時精力を注ぐが,その後急速な外征を行う。兵力はまずシリアにむけられ,ダマスクスは635年,イスラーム勢の手中に入っている。その後縦横に征服が行われるが,シリアは被征服地のなかではイスラーム化が最も順調になされた地域であった。新たな支配層のあいだの内部対立が少なく,第3代カリフ,ウスマーンによってここの太守に任命されたムアーウィヤは,民心を十分に引きつけることができた。その後彼はスィッフィーンでアリーと戦うが,ここで和議を成立させたあと,政局を有利に導く。彼は,第4代カリフ,アリーの存命中にイェルサレムでカリフに推戴されており,アリーの没後,その子ハサンがカリフ職を辞退したため,名実ともにイスラーム帝国の主長となった。彼はイェルサレムとともに,前数千年にさかのぼる古都ダマスクスをウマイヤ朝の首都に定めた。8世紀初頭,同朝の6代カリフ,アル=ワリードは,元来アラム人の神殿であり,ローマ時代にはユピテル神殿とされ,のちにバプテスマのヨハネ大聖堂が建てられた場所を大改装して,ウマイヤ大モスクを建造している。そして広大な帝国からの富が集中し,地場産業も徐々に発展していった。その後のアッバース朝と比べると,イスラーム文化はいまだ形成期にあったため,質朴さが漂っているが,当時の文物にはのちの華麗な発展を予想させるものが多々みられる。
アッバース朝の時代には,首都がバグダードに移され,シリアはそれ以降種々の勢力が虎視耽々と狙う争乱の地となる。比較的安定を保ちえたのは,12世紀のザンギー朝の君主,ヌールッ=ディーンの時代である。十字軍,ファーティマ朝の脅威のもとにあったこの地方を守ったこの君主は,種々の優れた業績を残している。彼の名が冠されたヌーリーヤ学院をはじめ,多くの学院をダマスクスのみならず主要な都市において学術の振興をはかり,産業の奨励を促したこの君主の施政は,その後エジプトに本拠をおき,この地を併合したアイユーブ朝からマムルーク朝に受け継がれていく。カイロと並んでダマスクスも繁栄を享受することができたが,1400年にティムールの率いるモンゴル軍がこの町を占領し,破壊・略奪されて一気に衰退した。
しかし16世紀にオスマン帝国の治下に入ると,この町の地理的主要性が再び見直され,巡礼・貿易の中心地として一応の活況を示すようになる。約400年にわたるトルコ支配のもとでそれなりの繁栄を示していたこの地域でも,今世紀になると民族意識が高揚し,第一次世界大戦の末期には,メッカの太守シャリーフ=フセインの息子がアラブ軍を率いてダマスクス入りするという局面を迎えた。しかしフランスの干渉にあって,その委任統治下に入る。だが民衆の圧力によってフランスも,1946年には軍隊を撤退せざるをえない状況に追いこまれる。ダマスクスは独立したシリア共和国の首都として,現在にまでいたっている。