●タヒチ芸能 タヒチげいのう
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タヒチのみならずポリネシアの土着芸能については,その原初形態や発生時期などのほとんどが不明確である。これはポリネシア民族が現在に通じる記録手段をもっていなかったこと,白人とともに渡来したキリスト教が土着文化,とくに芸能を嫌い禁圧歪曲したことによる。したがって今日,往時の姿を推察しようとすると,皮肉にも初期の探検家や宣教師の記述に頼らざるを得ない。しかしあるものは内容を変えつつ形式を保ち,ほかのものは形式を変えつつ内容を保つなどして現存しているので,それらを総合してある程度まで時代をさかのぼり,推察することも不可能ではない。ここではタヒチ島にとどまらず,文化的に均質性の高いソサエティ諸島全般の芸能について取り上げる。【歴史】キャプテン=クックが訪れた18世紀後期には,踊りは単に美的関心や娯楽,個人的快感のためだけでなく,共同体の活動や通過儀礼,政治活動,戦争,宗教に随伴するものであった。つまりそれ以前のある時期に芸能が公的な目的で演じられるようになったわけであり,これは,マラエの発生と無関係には論じられない。古来,芸能を含めすべての娯楽はタヒチ語でヘイバと呼ばれていたが,土着神の祭儀場であるマラエで儀式に伴って演じられるようになるとヘイバ=マラエと呼ばれるようになった。この時期については不明確であるが,ヘイバ=マラエの隆盛は,ライアテア島タプタプアテアのマラエで16〜17世紀ごろ,タンガロア神からオロ神へ主神を変える宗教改革がおこり,このオロを宣教する遊芸集団アリオイが発生したのと軌を一つにする。アリオイはタプタプアテアに本部を置き,島々に支部を設け,たがいに訪問し合い,旅先では地元民を交えて,ウテと呼ばれる歌や大太鼓の演奏,各種の舞踊を幾夜にもわたって公演した。諸島に現存する芸能のうち,白人渡来後に発生したものもあるが,大部分はこのヘイバ=マラエに由来するものと考えられる。
【楽器】古くは,鮫の皮を張った大太鼓パフ,ホラ貝製のトランペットであるプー,1〜1.5mの竹に縦に何本かの割目を入れてブリッジをさし込んだ打楽器イハラ,鼻で吹く竹の笛ビボが重要な楽器で,このほか,マラエで人間の犠牲を捧げるときの合図に,木製のスリットゴングであるトエレが使用された。現在ではギターや,皮張りウクレレも歌の伴奏やソロになくてはならない楽器となっている。
【歌の種類】[1]ウテリーダーが歌い,数人がバックでかけ声をかけていく語り歌。内容は土地や人物の讃歌。伴奏楽器としては,古くは鼻笛が用いられたが,その後,アコーデオンやギターが使われるようになった。[2]ヒメネ=ターラバは歌全般を意味する。ターラバは“平坦な”の意味。数十人から百人余の男女が一定のパートに分かれて,座ったまま歌う。元来,王や神々についての叙事詩を内容としていたと思われる。[3]パタウタウ囃しことば。タヒチでは歌の最後部に付随して調子をつける補助的役割しかないが,イースター島では独立して一つの曲となる。
【舞踊の種類】[1]オテア Otea 打楽器のみの伴奏でリズミカルに足腰を動かすもので,伴奏楽器としては,大太鼓パフ,小太鼓ファアテテ,割目太鼓トエレのアンサンブルが普通である。リーダーの合図でリズムのパターンを変化させながら踊る。服装は正式には,ブラウ樹の皮を水にさらしてつくったモレ(スカート)を着用し,木の実や貝殻製の装飾をつける。[2]アパリマ“手の踊り”という意味で,古くは座踊だったと思われる。アパリマには2種類あり,その一つは,床に膝をついて,料理など日常生活のしぐさを短く表現する無声アパリマで,伴奏はリズム楽器だけである。もう一つは歌入りアパリマで,ギターなどを伴奏に,全員が歌い踊る。[3]パオア座った囃し手の輪のなかで1組の男女が踊るが,リーダーのかけ声に全員が答える“応答歌”を伴う。元来タパ打ち歌に源を発するという説がある。[4]ヒビナウ白人渡来後に創作された踊り。演奏者を中心に2重の輪をつくり,回りながら踊る。ヒビナウという単語は,英語の“巻き揚げる”と“今”から転訛したという説と,タヒチ語の“揚げる”と“〜しつづける”の合成語であるという説がある。外国船が入港したさい,歓迎のために甲板で踊られたもので,現在,演奏陣を中心にするのは,マストの周囲で踊った名残りである。