●タバリー
AD839
839〜923 初期イスラーム時代の代表的な歴史家でコーラン学者。タバリスターン州のアームルで生まれ,幼少年期から勉学に励み,青年期に達すると故郷を出て最初ライで,ついでバグダードで学び,やがてシリアを経由してエジプトにむかった。その間各地でイスラームに関する伝承資料の収集に力をそそぐとともに,エジプトではシャーフィイー派法学を学んだ。まだ30代のこのころ,すでに学者として名をなしていたが,バグダードに帰ってからは,2度ばかりタバリスターンに旅行した以外は,もっぱらバグダードに滞って,著述と教育に生涯を過ごした。彼の学問分野は広く,歴史や法学,コーランの注釈学と読誦法,詩,語彙学,文法学,倫理学から数学や医学にまで及んだ。とくに法学ではシャーフィイー派法学から独立して,彼自身の法学派を創設,ジャリーリー派と称せられた。もっとも法理論的にはシャーフィイー派とほとんど変わらず,比較的早く世に忘れ去られたが,タバリー自身は当時隆盛になりつつあったハンバル派に対立,イブン=ハンバルをハディース(ムハンマドの伝承)の権威者とは認めていても,その法学の権威は認めなかった。そのため,一時は激怒したハンバル派の暴徒たちの襲撃の危険にあい,彼を保護する警察の布告で,やっと身の安全が保たれたほどであった。こうしたうちにも彼は著述に専念し,膨大なコーラン注釈書『タフシール』やイスラームの年代記『諸預言者並びに諸王の歴史』などを著した。前者は伝統的コーラン解釈のための資料を彼が初めて大量に収集し,後世のコーラン注釈家がつねに引用する基本的注釈書となったもの。後者は彼の最も重要な作品で,天地創造から古代の族長や預言者・支配者たちの歴史に始まり,ついでササン朝史を述べたあと,イスラーム時代に入ってからは年代記の形で,ムハマンドと,正統カリフの時代の歴史,ウマイヤ朝史,アッバース朝史と続いて,915年に至るまでのイスラーム国家の発展を述べている。これは最初のより詳細な作品の要約版とされていて,収集した資料を歴史的諸事件の一貫した叙述にまとめあげることをせず,むしろ彼にとって有益と思われる伝承資料を,ときにはそれが系統的に異なり内容的に矛盾するものであっても列挙するという叙述形式をとっている。この点,初期イスラーム時代の歴史を再構成するといった現代の歴史学研究にとっては好都合ではあるが,このような叙述態度は彼のコーラン注釈書の場合の批判的実証主義とは異なっている。タバリーは第一には伝承家であり,彼はむしろ自己の史書においてイスラームの歴史伝承をきわめて詳細に提供することによって,コーラン注釈書の補いをつけようとしたのである。したがって彼の引用する伝承家に対しても当時の評価を無批判に受け入れた不明瞭な判断を下している場合がある。また年代記の後半部,すなわちタバリーにとっては現代史に当たる部分の記述がきわめて貧弱であることも,彼が歴史家というよりもむしろ純粋に伝承家であったことを示している。しかしこうした弱点はともかく,ほかの点ではきわめて優れた作品であって,後世の歴史編さん者で改めて初期イスラーム史の資料を収集し研究しようとするものはなく,もっぱらタバリーから引用するか,その続きを書くかであった。またタバリーは法学関係の著述も行ったが,法学者たちの見解の相違を集めた著書“Kitab Ikhtilaf al-fuqaha”の一部を除いて,その大半は失われてしまった。