●種まきの儀礼 たねまきのぎれい
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播種儀礼ともいい,農作物の種まきが終わったときの儀礼。日本では水稲作の播種儀礼がもっとも広く行われ,一般的だが,畑作の麦類,粟,棉(わた)などでも行われている。水稲の播種儀礼は“水口祭り”の名で総称され,苗代へ稲種子をまいたときに苗代田の水口や畦,または田の中央で行われる田の神迎えの儀礼である。現在は動力田植機の普及により苗代田が必要なくなり,ほとんど行われなくなったが,かつては全国的にみられた。奄美・沖縄地方を除けば苗代への播種は八十八夜の前後約1カ月間で,水口祭りもこの時期だった。儀礼の内容は地方的な差が多少あるが,苗代田の一部に柳,栗,松の枝やカヤ,あるいは季節の花とか小正月につくった削り掛けなどを挿し,そこに焼米または洗米を供えるのが一般的である。苗代田の一部に挿す枝などは田の神様の宿り木と呼ばれたり,ここにお田の神様が止まって休まれるなどの伝承があり,これは田の神を迎える依り代で,焼米や洗米は田の神への供物と考えられる。焼米は,通常余った稲種子を煎って臼・杵で搗(つ)いたもので,地方によっては若い男女が集まって焼米搗唄を歌いながら搗いたり,子供たちが組になってこれを貰い歩く所がある。焼米等を苗代田に供えることは,鳥の口にあげるという所が多いが,これは苗代にまいた稲種子が,焼米を鳥にあげることによって啄(ついば)まれるのを防ごうという心意で,予祝(よしゅく)的な意味をもつ。予祝的な性格は苗代田に挿す木の枝などにもみられる。挿した俸が苗をつくる途中で枯れたり,傾くのを嫌ったり,この棒で稲の作柄を占う所もある。ここまでは各家ごとの水口祭りたが,これとは別に,ムラ全体の種まきが終わると種まき正月などといって,ムラの全戸がいっせいに仕事を休みとする所も少なくない。本土の稲の播種儀礼に対し,沖縄の場合は,タントゥイ(種とり)などと呼ばれ,海のかなたから神を迎える儀礼や豊作を祈念した予祝的な儀礼,さらにこの時には騒音を立ててはいけないなどの禁忌が伴い,稲作儀礼全体のなかでは田植儀礼より重視されているのが特色である。
【摘田・畑作の種まき儀礼】田植えによる稲作法の播種儀礼のほか,日本の稲作には摘田,蒔田,実植,実播などという慣行的な直播栽培法が関東・九州地方を中心に,明治末あるいは昭和初期まであり,この稲作法での播種時にも儀礼が行われた。やはり焼米などを水口に供えたりし,ムラ全体の播種が終わると,摘田上がりの正月,田摘み正月などといい休日が定められたが,この稲作法の場合は儀礼的色彩が薄い。
麦の播種儀礼は,関東地方ではマキアゲ,マキキリ,アナップサゲなどといわれ,麦をまき終わった時に各家ごと,あるいはムラで揃ってしている。麦まきはほぼ11月で,この時には焼きまんじゅう,餅,粥などをつくり,家の神仏や洗って揃えた鍬などの道具へ供えたり,麦をまいた畑に,モグラが荒さないようにとか,地神様・畑の神様に進ぜるといって埋めたりしている。また,まき終わるとススキの穂を麦の穂にみたてて,麦をまいた畑の隅へ立てる所もある。モグラが荒さないように餅などを埋めたり,ススキの穂を立てるのは予祝的な意味をもつが,畑作地帯では亥(い)の子,十日夜(とうかんや)などの年中行事が麦まきの儀礼としての性格をもつ場合が多々みられる。
粟の播種儀礼がみられるのは沖縄などである。沖縄では水稲と並列的に粟などの儀礼が行われている。粟をまく時にはタニドゥル(種とり)などと呼ばれ,音を立ててはいけない等の禁忌があり,まき終わるとフキとかサンというカヤの葉先を結んだものを畑にたてるところがある。また,南九州では粟まきが終わるとアワウエドッ(粟植ドキ)などといい,ムラで日を決めて休んだり,集まって宴を催したり,団子をつくって苞(つと)に入れて屋敷の入口の木に吊るしたりする所がある。
最後に綿の播種儀礼は,たとえば関東地方では木綿坊様などといい,種まき後にボタモチをつくった。このボタモチにも綿の実が大きくなるようにと,大きくつくるのだと予祝的な意味をもたせる伝承がある。
〔参考文献〕伊藤幹治『稲作儀礼の研究』1974,而立書房
小野重朗『農耕儀礼の研究』1970,弘文堂
野本寛一「畑作の年中行事」日本民俗研究大系3,1983,国学院大学