●伊達宗城 だてむねなり
アジア 日本 AD1817 江戸時代
1817〜92(文化14〜明治25)幕末の伊予宇和島藩主・明治初期の官僚。幕臣山口直勝の子。宇和島藩主の養子となり,1844年(天保15)に襲封。1858年(安政5)に幕命によって隠居するまで先代のあとを受けて藩政改革にあたった。すなわち高野長英や大村益次郎を招いて,藩士に蘭学や西洋兵学を学ばせ,軍艦の建造や砲台の築造にあたる一方,米麦の改良に力を注ぎ,物産会所を創設するなど富国強兵・殖産興業につとめた。1863年(文久2)に上京し,島津久光,松平慶永,山内豊信らと四侯会議を開催し,天皇を首長とする連邦国家を構想するなど国策に奔走した。明治維新後,議定,外国事務総督,参議,民部卿,大蔵卿などを歴任し,1871年(明治4)には欽差全権大臣として渡清,天津で李鴻章とのあいだに両国にとって最初の平等条約である日清修好条規を締結した。1881年(明治14)には,松平慶永らと『徳川礼典録』全38巻を編纂し,1883年には修史館副総裁に就任し修史事業にあたった。