●橘逸勢 たちばなのはやなり
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?〜842(?〜承知9)平安時代の書家・官人,橘奈良麻呂の孫,清友の子。804年(延暦23)空海,最澄とともに藤原葛野麻呂に従い入唐,書法を柳宗元に受け,とくに隷書をよくし,嵯峨天皇とともに三筆の1人である。僧空海とともに帰国後,従五位下に叙せられ,840年(承知7),但馬権守となる。同年皇太子恒貞親王の父清和上皇が没し,藤原氏の出でない皇太子の地位が不安であったため,皇太子を奉じて東国に入ろうとする東宮帯刀伴健岑の謀に応じ,842年(承和9)に謀が現れて逮捕されている。本姓を除いて姓を非人に改められ,伊豆国に流される途中,遠江国板筑駅で没している。853年(仁寿3)5月,従4位下に列せられる。彼の筆跡は御物伊都内親王願文とか,興福寺南圓堂銅燈籠臺などが有名である。これらは9世紀の屈指の名品である。