●橘奈良麻呂の乱 たちばなのならまろのらん
アジア 日本 AD757 奈良時代
757年(天平宝字1)7月に発覚した橘奈良麻呂を首謀者とするクーデター未遂事件。藤原仲麻呂の急速な台頭と橘氏の凋落に不満を抱き,東大寺の大仏造立や皇嗣問題(聖武天皇の遺詔による皇太子道祖王が廃され,代わりに仲麻呂と関係の深い大炊王が立太子した)でも仲麻呂と対立を深めていた奈良麻呂は,光明皇太后,孝謙天皇,大炊王,仲麻呂などを打倒し,長屋王の子黄文王を皇嗣に推すことを計画したが,企てが事前に洩れたために失敗に終わった。この結果奈良麻呂やこれに与した大伴古麻呂,黄文王,道祖王らは獄中で殺され,処罰された者は443名にのぼった(宝亀元年太政官奏)。また仲麻呂の兄で右大臣であった豊成は叛乱を察知していながら奏上せず,訊問を命ぜられても究明しようとしなかったとして大宰員外師に左遷され,これによって反対派を粛清した仲麻呂が専制体制を確立することとなった。