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●打製石器 だせいせっき

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 石を打ちくだいたり,剥脱させることによって形を整え,狩猟・漁撈などの道具とした石器。旧石器時代初頭からつくられ,新石器時代,さらに金属器時代にも使われていた。古墳や貝塚などから発掘される打製石器は考古学上の重要な資料になっている。新石器時代には,これよりもより高度な製作工程が必要な磨製石器が使用されるとともに土器(縄文式土器)なども使われるようになる。無土器時代としての旧石器時代においても,前期は石核石器であったものが中期旧石器時代以後は剥片石器が主流となる。石核石器は石器原材を打ちかいて剥がされた残りを使ったものであり,万能裁断具として使われていたようである。剥片石器は,大きな石器原材の一端を直角に近い角度から力を加えて,薄い剥片をはがし,この剥片の周辺部などにこまかい打裂を加えて加工した石器である。打製石器の原材としては,まず硬く,しかも適当な打撃や圧力によって一定の方向に規則的に割裂し,あるいは剥離し,なおかつその縁辺が鋭利であることが要求されることから,黒曜石が最も一般的に利用された。他にチャート(珪岩),石英石,安山岩,流紋岩,水晶,玉髄,瑪瑙なども使われた。新石器時代になって現れた磨製石器のうち,鋭い刃部を要する斧,手斧,鑿(のみ)などの利器は,石質が均一・堅緻で,しかもある程度弾力性と重量のある強さが要求された。原材としては内緑岩,玄武岩,蛇紋岩,各種の安山岩などが使われた。同一の原材料を使って石器をつくるとすると,得られる刃の長さの総量は,前期石器時代の石核石器から後期旧石器時代へと飛躍的に増大していることが確認されている。

 日本でもっとも古い打製石器は群馬県不二山(ふじやま)遺跡から出土したもので,それは24万年から15万年前,第三間氷期だといわれている。旧石器時代前期のこの時期,朝鮮海峡や南シナ海方向のどこかと陸続きで,ナウマン象らとともに人間が渡って来たものと考えられる。石器の組成は,先端に磨耗痕のある楕円形石器,粗雑な石刃,原始的なナイフ,スクレイパー(掻器),半円錐形石核などがある。ここで注目されるのは,本州と九州などが地続きに大陸と結びつき,共通の文化圏にくくれるのに対して,すでに津軽海峡があったために,北海道は違った遺跡が発掘されているところである。北海道にマンモスの化石が発見されないのはその一例にほかならない。洪積期の終わりから沖積世の初頭にかけて,つまり旧石器時代の末期,石槍,石小刃,石鏃(いしぞく)などの製作法が飛躍的に発展,日本の各地には細石刃を主体とする文化がさかえた。そこからほど遠からぬ時期に,縄文式土器がこの島国にあらわれはじめる。

 前7000年〜8000年前からはじまる新石器(縄文文化)の時代は,それが採集経済であるという基本的な特徴はかわらなかったが,手槍,投槍,石鏃などの石器の精巧化などによって狩猟経済の進歩を見た。それと同時に縄文式土器の発明は,食料の種類の著しい拡大と計画的な生活の最小限を保証した。また新石器時代は打製石器と合わせて,磨製石器が出現し,それらの石器を使っての材木の伐採が可能になり,住居建築と定住生活の端緒が生まれた。この時代とみられる古墳が関東地方で発見されているが,それは50戸位の竪穴が群生する竪穴住居群をなしている。この社会組織は,抜歯の風習(成年式儀礼)にみられる強い共同体,女性をかたどった土偶のしめしている呪術的な母の権威,小型の石棒を統率者の象徴としているなどからみて,呪術宗教の支配する血縁的氏族ニクラン共同体の段階にあったとみなされる。縄文文化に入ってからの打製石器は縁辺に打ち欠きを加えて加工したものが多くなる。それが中期以降になると,砂岩,頁岩(けつがん),安山岩などの川原石を長方形などに打ち欠き加工した土掘り具と思われる簡素な打製石器が現れ,後期末には中央に両側から抉り込みをつけ,分銅形にしたものが関東,九州南部に現れた。