●但馬 たじま
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兵庫県北部を占め旧国名。別称但州,多遲麻(古事記),田道間,二方の国造が支配。「延喜式」では出石郡など8郡。国府,国分寺は城崎郡日高町。鎌倉時代初期の常陸房昌明が出石郡太田荘に入り,のち守護となり太田氏を称して世襲,南北朝時代以降山名氏の支配。山名氏は1580年(天正8),豊臣氏にほろぼされている。そして江戸時代になると,但馬は杉原,山出,別所の分治となり,末期には出石民の出石藩と京極氏の豊岡藩となり,そのまま明治になると出石県と豊岡県,村岡県ついで豊岡県,さらに兵庫県に編入されている。延喜式ではここは上国,8郡で構成され,山陰道8国の一つ。地名は国府の地形を示す「谷間」が転じたものといわれ,アイヌ語の「タイスマ」(森林の島)から来たという説もある。