50音順    検 索

●太宰春台 だざいしゅんだい

アジア 日本 AD1680 江戸時代

 1680〜1747(延宝8〜延享4)江戸中期の儒学者。通称と本名は弥右衛門純,字は徳夫。春台は号。別号は紫芝園。父言辰(号は空谷)は本姓平手氏,信濃国飯田藩士の太宰謙翁の養嗣子となり200石。母は太宰氏。兄弟3人なかの次男。春台の先妻は末松氏,後妻は前川氏。実子なく阿武定保を養嗣子にした。春台は飯田に生まれ,1687年8歳で父に『孝経』『論語』を学ぶ。翌年,父が致仕したのに伴い江戸に移住。1694年15歳のとき但馬国出石藩に出仕。中野キケン※注1※に朱子学を学ぶ。1700年21歳のとき致仕を願い出て許されなかったため脱藩。京都・大坂に遊学。後世方医学の素養があったので医者を開業したこともあったという。1711年32歳で江戸に出て,荻生徂徠に入門し,古文辞学を学ぶ。同年,下総国生実藩に出仕。1715年36歳で致仕し,これ以後は出仕することはなかった。春台は徂徠経学の後継者とみなされているが,いろいろな相違点がある。たとえば,徂徠陰陽説で人事を判断することを否定し,また五行を実在しないものと考えたのに対して,春台は陰陽五行説によって自然と人事を統一的に理解できると主張した。この対立は,漢方医学の古方を学んだ徂徠と後世方を学んだ春台との相違から生じている。また春台は,将軍を「日本国王」とし,天皇を「山城天皇」と呼ぶなど徹底した敬幕論を唱えた。主著は,『論語古訓』『易道撥乱』『斥非』『経済録』『紫芝園稿』など。

00

01