●竹本義太夫(初代) たけもとぎだゆう
アジア 日本 AD1651 江戸時代
1651〜1714(慶安4〜正徳4) いわゆる上方の元禄文化に大きな地歩を占めた浄瑠璃節の太夫。大坂に生まれ本名五郎兵衛。清水理太夫をへて1684年(貞享1,2年の説あり)大坂道頓堀戎橋に竹本庄兵衛を座元として竹本座が櫓揚げしたのを機に竹本義太夫と改める。三味線の竹沢権右衛門とで義太夫節を確立し評判となる。声質の幅(甲乙,かんおつ)が豊かで語り口も明快,1686年(貞享3)売り出し中の作家近松門左衛門作の『出世景清』を口演,時代が生んだエンターティナーとして人気を博す。1701年(元禄14)51歳で受領,竹本筑後掾藤原博教を名のり,名実ともに義太夫節の流祖となる。53歳のとき,『曽根崎心中』の大成功,1705年(宝永2)からは竹田出雲を座元とする新組織を張った竹本座の太夫として,1714年(正徳4)没するまでの約10年間,竹本座は近松を専属に迎え,人形と舞台技巧を進歩させ,第一線で浄瑠璃全盛期を支えた。