50音順    検 索

●竹内式部 たけのうちしきぶ

アジア 日本 AD1712 江戸時代

 1712〜67(正徳2〜明和4)江戸中期の国学者・神道家。また明治維新にさきがけた勤皇運動の先駆者とされる。名は敬持(たがもち)。羞庵・周斎・正庵などを号した。式部は通称である。越後の医師の子で,京に出て公家の徳大寺家に仕え,松岡仲良・五本葦斎に垂加(すいか)神道を学び,のち家塾をひらいた。神道にもとづく勤皇思想を唱え,公家の間に正親町三条公積・烏丸光胤・久我敏通・徳大寺公城ら多大な支持者を生み,桃園天皇にも講義するにいたる。弟子の一部が朝廷の権威回復の運動に走ったため,江戸幕府から危険人物としてにらまれ,1759年(宝暦9)伊勢に追放され蟄居(ちっきょ)の身となる。これを宝暦(ほうりゃく)事件という。この伊勢蟄居の間,式部の友人,藤井右門と勤皇家,山県大弐(やまがただいに)が不穏な言動のかどで処刑される明和事件がおき,式部も連座して八丈島に遠島となった。その途中,三宅島で死亡。