●武田信玄 たけだしんげん
アジア 日本 AD1521 室町時代
1521〜73(大永1〜天正1)戦国大名。甲斐国守信虎の長子。名は晴信。信玄は法名。号は徳栄軒,法号は法性院。1541年(天文10)父を駿河に追放して自立,領国甲斐を固め信濃に入り,諏訪頼重・小笠原長時・村上義清らを倒し,1555年(弘治1)にはほぼ信濃一円を攻略,信越国境に上杉謙信と対抗,川中島4郡をめぐって上杉氏との抗争を繰り返し,とくに1561年(永禄4)9月の川中島での激突は有名。その後飛騨に進出,北関東において上杉氏と争って1566年には上野国箕輪城を陥し,西上野を領有した。1568年徳川家康と図り,今川氏真を攻めて,その居城駿河府中を陥れ,1570年(元亀1)には駿河を完全にあわせ,年来の宿望である西上の挙を行おうとし,1572年10月大軍を催して出陣,遠江二俣城を陥れ,1572年12月遠江三方ケ原に徳川家康を破り,1573年2月野田城を攻略したが,陣中に発病,帰国の途中4月12日雄図むなしく信濃駒場に没した。年53歳。信玄は軍略家としてのみならず,分国経営にも優れ,甲州法度の制定,治水事業と新田開発,鉱山の開発,貨幣の鋳造,税制・度量衡の統一などを行い,富国強兵策を講じた。信玄提・甲州金などが有名。また学問・文芸を好み,教養も深く,宗教政策にも心を用い,自ら天台宗の大僧正になっているが,快川などの禅宗関山派の名僧を甲斐に招いている。