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●宅磨派 たくまは

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 平安末期から鎌倉時代にわたる絵仏師の1流派のこと。もちろん仏画が専門で京都の寺院に専属していたらしい。平安末期に宅磨為遠(のち出家して勝智と号す)が活躍し,その子に宅磨為基がいて,記録には残っているが現存しない『十二天図屏風』を1168年(仁安3)に神護寺に描いたというが,現存するものでは東寺蔵の『十二天図屏風』を1191年(建久2)に描き,ほかに高山寺蔵の『仏眼仏母』も描いている。いずれも宋風の抑揚のある新しい線描をとり入れながら,日本風の抒情的美しさをたたえている。1176年(安元2)に出家して東寺の絵仏師となり勝賀証賀澄賀とも)と号した。勝賀の弟宅磨為久鎌倉幕府に招かれ俗人画師の一派をなした。このほか高山寺に作品を残した俊賀醍醐寺の仏画や『兀庵(ごったん)普寧像』(正伝寺蔵)を描いている長賀,『柿本人麿像』(常盤山文庫蔵)の筆者である栄賀なども勝賀の家系・画系とされ,鎌倉期に特色ある秀作を残した。