50音順    検 索

●滝口の武士 たきぐちのぶし

アジア 日本 AD 

 平安・鎌倉時代,蔵人所に属し禁中の警衛にあたった武士。もと清涼殿の東庭北方にある御溝水(みかわみず)の落ちるところを詰所としていたのでこの名がある。宇多天皇の寛平年中(889〜897)に射芸に長じた者を選補したのにはじまり,定員は当初10人,のち20人となったが,白河天皇のとき30人に増員されたこともある。職務は,射芸をもって仕えるほか,天皇の乗船に供奉し,遠所の勅使をつとめたり,庭の草木の栽植などにもあたった。定員20人のうち先任の者から順に一臈・二臈・三臈の3人を上臈と呼び,四臈を事行といったが,上臈は禁中に勤番宿直して警固の任にあたった。しかし,彼らは昇殿を許されないので,宿直するさい亥の一刻にその姓名を名のり,蔵人が取り次いで奏聞した。これを宿直申(とのいもうし)・問籍(もんじゃく)・名対面(なだいめん)などという。堀河天皇のとき,滝口を分けて下北面とし,院武者所に候せしめた。