●財部彪 たからべたけし
アジア 日本 AD1867 江戸時代
1867〜1945(慶応3〜昭和20)宮崎県都城藩士,財部実秋の二男として生まれる。妻は海軍大将山本権兵衛の女。1889年(明治22)海軍兵学校,1893年海軍大学校を卒業。日清戦争には高雄分隊長として従軍。1897年〜99年イギリス駐在。日露戦争全期大本営参謀(1906年1月大佐)。1909年少将,1919年(大正8)大将,1932年(昭和7)予備役。この間,海軍次官,艦隊ならびに鎮守府長官を歴任し,さらに4内閣(第二次山本・加藤公明・第一次若槻・浜口)の海軍大臣の任につき,大正末期から昭和初期にかけて日本海軍を統轄した。さらにロンドン軍縮会議の全権となり,同条約を成立させた。しかしこの偉大なる足跡の割に,また,秀才の名望にもかかわらず評価は伴わない。それはいわゆる統帥権干犯問題を防止できなかったことが深く惜しまれる上に,彼には〈権兵衛(岳父)に引かれて進み推されて進み,何等の苦労努力を要せずして海軍の寵児となり〉という類の世評がつきまとうからである。